北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第7節 民主化される教育

1 混乱の中の教育現場

終戦直後の学校では
昭和二十年八月十五日、太平洋戦争は終わりをつげた。敗戦という大きな衝擊が国民を襲い、生活各面で混乱が見られた。この戦争で、卒業生のうち百数十名の戦病没者を出した中丸国民学校では、終戦から六日後の八月二十一日から二学期が開始された。混乱の中、何をどのように教えるかはっきりつかめず、従来の教科書を利用して授業が進められた。教育の立て直しのための努力は続けられたが、その一つとして作業を通しての教育環境の整備が行われた。中丸国民学校での環境整備日程と実施状況を見てみると次のとおりであった。
八月二三日(木)晴 学校農場作業
  二七日(月)睛 作業にて井戸なおし、コップ作り、金時調整
  二九日(水)晴 作業にて図書整備、南瓜(かぼちゃ)配給 
  三十日(木)晴 作業にて大根播種(はしゅ)、農業会よりヒマ蚕飼育依頼を受く
九月十五日(土)晴 作業にて渡り、腰板修理
  十七日(月)曇 作業にて農具舎、兎(うさぎ)小屋修理戦争終結報告祭典天神社より参列
                             (『中丸小学校八〇年史』P一八一より引用)
このような作業が行われたが、次に触れるように、この後、日本を占領することになったGHQ(連合国軍総司令部)から日本政府に次々と指令が出され、これに基づいて、教育界でも大改革が実施された。

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