北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第1節 町制下の行・財政

1 北本町の発足

衛星都市をめざして
町村合併が一段落した昭和三十一年、埼玉県の市の数は九市から十八市へと倍増し、町の数は市制への移行によって四四か町から三六か町に減少していたが、その多くは人口規模を拡大し、都市的発展をとげつつあった。
埼玉県条例は、村から町へ移行するための要件として六つをあげている(県行政文書 昭八七七八)が、昭和三十四年の北本宿村の現況は、人口 一万五〇〇〇人、非農業人口も五割を超えるなど、県条例の六要件を充たすものとなっていた。ここに当然のごとく町制移行の声が高まり、昭和三十四年九月八日「 一般住民も町制施行の一日も早からんことを熱望しており、(中路)村民の気分一新」をはかるため、埼玉県知事宛町制許可を申請した(現代№二三)。
当時はようやく戦後の復興を終え、本格的な高度経済成長とそれに伴う大都市への人口流入、その周辺地域の都市化が始まろうとする時期であった。町制施行にあたって、県知事が内閣総理大臣に宛てた届書には、町制の必要について次のように述べられている。
(前略)本村の現状は自然発生的な市街地が中心となっていたが、近年に至り、県内及び東京都内への通勤地域として飛躍的な発展を見、(中略)町としての形態を整えるに至った。(中略)北本宿村の町制施行は、その地理的条件と相俟(あいま)って商工業都市として、また衛星都市として発展するのに適当と考えられる。(県行政文書 昭八七七八)この一文は、都市化の進行に対応しての町制施行であり、衛星都市としての発展を期待したものだったことを示している。

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