北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第1節 町制下の行・財政

2 都市化に対応する行・財政

ひらける駅西口

写真30 北本駅西口駅前広場

昭和50年 中央

住宅公団との交渉によって、要望事項の第六項、こ線橋及び駅前広場造成については、「町は、上記のこ線橋及び駅前広場並に都市計画街路の建設・整備を団地建設にあわせて実施し、団地入居開始日までに(中略)、利用を可能ならしめる」(現代No.二十九)ことで合意していた。
まず、昭和四十四年九月北本町長より国鉄高崎鉄道管理局長への申請を行い、翌年三月承諾の回答を得た。七月には地権者に対する用地買収についての説明会がひらかれ、駅前広場六三〇〇平方メートル、駅前広場から町道一九九号線まで幅員(ふくいん)ニ十ニメートル、延長約九十メートルの街路建設を、公団関連事業として行うことが明らかにされた(現代No.三十一)。説明会に続いて用地買収が行われ、地権者の一人金子泰宣及び大久保政助と交(かわ)した「住居移転その他補償契約書」(北本市資料)によれば、一切の補償金として町は三十五万円を支払い、同年九月三十日までに移転することを契約している。両氏は契約に従って、九月末までに土地を明け渡したと思われるが、工事は昭和四十六年から始まり、五十年に至ってようやく完成した。用地買収から着工まで二か年、着工から完成までに四か年を要したことになり、用地買収の難航(なんこう)したことを思わせるが、詳しいことはわからない。

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