北本市史 通史編 現代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 現代

第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

1 北本市の発足

新市名をめぐって
昭和四十六年八月十三日付『読売新聞』は、「解脱市はいかが」と題して次のように報じ、新市名をめぐる紛糾の気配を告げた。
北足立郡北本町は、(中略)市制を施行したいとして県、自治省に働きかけているが、この動きに合わせて同市に本拠を置く宗教法人解脱会(げだつかい)(中略)が、「市制施行のあかつきには、新しい市名を解脱としてはどうか」との意向を持ち、近く正式に町当局へ要望する準備を進めており、こんご論議を呼びそうな気配だ。
同紙は、解脱会がこの要望の準備を進めていると報じているが、実際には陳情書及び「町とともに生きる解脱会のビジョン」が当局に提出され、議会は協議会を開くなど事態はもっと進んでいた。それは次にあげる二つの文書が示している(注、傍点筆者)。
先般八月四日の議員協議会において、解脱会の陳情書(町長宛のもの)並に解脱会のビジョンなるものについて協議しました(下略)。

(昭四十六・八・十ニ、町議会議長吉田供一郎より各議員宛通知)

(前略)立派な都市づくりをお手伝いするため、体育館・プール・市民会館の建設等についての協力計画(筆者注、解脱会のビジョンに示された施設建設計画)を町当局に申しあげましたところ喜んで お受けくださることになりました。この計画はさる七月十七日に町に提出され、町当局の審議にゆだねました。八月四日ひらかれた議員協議会の席上斉藤町長より発表され、参加議員の大多数の賛同をえたものであります。

(昭四十六・八・ 十五、『ご挨拶、町民の皆さまへ』)

注、「解脱会のビジョン」とは、昭和四十七年から五十三年までに、南小体育館、中丸小プール、石戸小体育馆、北本中体育館、市民会館、商工会館を建設、寄贈することを内容とするものである。
すでにこの年七月中旬から始められた解脱会の運動は、八月に入ると、チラシ・パンフレットなどの配布を通じて、住民に対する運動へと拡げられ、新聞報道よりはるかに具体化していたのであった。

<< 前のページに戻る