北本市史 通史編 現代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 現代

第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

2 市政の展開

拡張すすむ都市下水路

写真35 勝林下水路建設工事

昭和48年 下石戸下か

昭和三十八年から始まった都市下水路の建設は、四十五年度までに第一・古市場・下石戸・勝林下水路とそれぞれの枝線を合わせて約三三〇〇メートルが完成していたが、未処理地区からの建設促進の要望が続いた。その一例として、東ニ十ニ地区小山茂利他八名、東ニ十一・二十三地区七名が連名で昭和四十六年三月に提出した請願書の一部を示す。
(前略)東側ニ十ニ地区東側の排水路は、県道下石戸上~菖蒲(しょうぶ)線から町道一八七号線に沿って南に向い、町道十三号線に至るまでの一部はすでに改良工事がなされておりますが、ニ十二号線以南の南小学校に至るまでは依然として素掘りのままの排水路で、土砂の崩壊(ほうかい)や夏季の雑草の繁茂にさまたげられ、汚水が常に停滞し、溜り水となって悪臭(あくしゅう)を放っております。これが原因で夏季には蚊(か)や蠅(はえ)が発生し、付近の住民は悩まされ(中略)ております。
ご承知のとおり、此の地帯は駅にも近接し、近年住宅が著しく増加している地域でもありまして、一日も早く此の排水路の改良工事を完成していただきたくお願いする次第であります(北本二三五)。
以上の請願は、住宅の増加・家庭雑排水の放流によって水質汚濁が広がり、下水路建設の必要が一層高まっていたことを示している。このため、さらに総延長を八六五五メートルと飛躍的に延ばし、処理面積を五五十へクタールにまで拡げようとする事業が始まった。その計画の大要は、次の表24のとおりである。
表24 都市下水路の建設計画  (昭和47年)
名 称区 域延 長 (m)
起 点終 点
勝 林 下 水 路 下石戸上下手 高 尾 馬 込 2,710
勝林下水路第一枝線 下石戸下蔵引 高尾東谷足 2,160
勝林下水路第二枝線 下石戸下蔵引 下石戸下考戸 1,720
梅 沢 下 水 路北 中 丸 東北本宿徳之道2,065

(『広報きたもと』№120より作成)

梅沢下水路は、東南部一帯を集水区域とする新たな計画であり、昭和五十三年度から着工された。各幹線から枝線が延長されていったことはいうまでもないが、このころから下水路事業は公共下水道建設に重点が移り、それに比べて工費や規模の小さい都市下水路事業は対象地域も少なくなり、地味な事業として続けられていく。

<< 前のページに戻る