北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

2 市政の展開

舗装・改良のすすむ道路

写真37 道路舗装工事

昭和48年

昭和四十五年現在、幅員四メートル以上の道路の延長は、国・県・市道を合わせて約四万二〇〇〇メートル、うち舗装済(ほそうずみ)道路は約一万五〇〇〇メートルであった。これを市道のみに限れば、舗装率は六パーセントで、それでも近隣町村にくらべて格段に高率であった。つまり国・県道は一応舗装されていたが、市道のほとんどはジャリを敷いた程度で、側溝などの排水施設もなく、降雨や降霜(こうそう)・氷結によってぬかるみになるという状態であったが、これが全国どこにでもふつうに見られる状態だった。戦争直後、占領軍は「日本の道路は、道路ではなく道路予定地だ」と酷評(こくひょう)したが、その状態がほぼ昭和四十年代まで続いたのである。
昭和四十年代に入ると、急速に自動車が普及し、道路改良の要求は幹線道路に限らず、生活道路である市道にも及び始めた。とくに交通事故の多発が、社会全体の道路への関心を高め、こうして表27に示すように、北本においても四十年代から道路改良は次第に進んでいった。

表27 市道の舗装および改良の進捗状況
年 次実延長
(m)
年間舗装延長
(m)
舗装率
(%)
年間改良延長
(m)
改良率
(%)
昭和45303,92411,91460.7
46306,73117,49211.66,0006.9
47307,2608,06114.26,8478.9
48309,49311,34217.86,84711
49310,2879,984215,22812.7
50316,72312,01924.311,03115.9
51318,2487,89926.76,15517.7
52321,52710, 53429.76,10319.5
53324,1535,56931.27,48021.6
54327,67610, 84834.114,33223.5
55330,93312,05338.44, 87324.7
56332,8949,519412,72225.7
57338,0665,406429,51828.2
58339,5409,10144.57,67830.3
59340,8586,20346.210,55731
60341,8514,20947.22,64331.7

(『北本市総合振興計画』、『第二次北本市総合振興計画』より作成)


ところが、当初の舗装の多くは、今日のレベルからすれば果して舗装といえるかどうか、疑わしいような簡易アスファルト舗装であった。そのために、次のような舗装道路保全の呼びかけが広報を通じて行われたのであった。
舗装道路に対し、これだけは守ってください。
(前略)道路の舗装が急速に進んでおります。これら舗装道は、油でじゃりを固めたものですから、管理のしかたによって舗装の寿命が左右されますので、皆さんにぜひ守ってもらいたいことをあげました。
一、路上では火を燃やさないこと。(油が燃えてしまう)
二、路上には水をまかぬこと。(表面より浸透(しんとう)し、路盤を軟弱(なんじゃく)にしてしまう)
三、路上には油をまかぬこと。(油と油でアスフTルトが分解してしまう)
四、車の発車、停車等必要以上にスリップさせぬこと。(路面のじゃりをかき起してしまう)
五、畑地等のじやりを路面にまかぬこと。(車で石をけ飛ばし、危険である) (『広報きたもと』より引用)

こうした简易アスファルト舗装は、昭和五十年代の後半以降改善され、それとともに拡幅(かくふく)、側溝(そっこう)・L字溝などの排水施設、歩道やガードレール、信号などの安全施設をふくめての改良が進んでいった。昭和六十年における舗装率は約五十パーセントであるが、自動車交通可能道路が約半分であることからすれば、既存道路の舗装だけはほぼ完了した、といってよいだろう。なお第二次総合振興計画の基礎資料とされている道路現況は、表28のとおりである。
表28 道路現況  (昭和60年現在)
区 分路線数実延長
(m)
幅員別延長(m)舗装率
(%)
改良率
(%)
4.5<4.5~1.51.5>
国 道15,2435,243100.0100.0
県 道619,68519,275410100.087.4
市 道1,780341,851112,823107,907121,12147.231.7
1,787366,779137,341108,317121,12150.935.7

(『第二次北本市総合振興計画』より作成)

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