北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

3 「緑に囲まれた北本市」づくり

安全確保
北里研究所はいうまでもなく、かの著名な北里柴三郎博士によって創立され、各種疾病(しっぺい)の病理研究と治療、医薬品の研究及び製造などを行なってきた。昭和五十九年に創立七十周年を迎え、その記念事業としてメディカルセンターの設立を構想したのであった。もとより完備した医療機関の立地は、それが不充分な北本市にとって歓迎すべきことであり、その誘致成功を評価しないものはあるまい。しかし移転して来るのは総合病院だけではない。同研究所はもともと伝染病研究所として創立され、当初の破傷風(はしょうふう)・ジフテリア・赤痢(せきり)・コレラ菌などの研究から、今や細菌、ウィルスはもとより、抗生(こうせい)物質、制がん、遺伝子工学、病理、免疫(めんえき)、生化学の分野にまで拡がり、最近では放射線菌を用いた遺伝子操作に世界で初めて成功し、その技術を抗生物質の生産に応用する研究にとり組んでいる。
そして『事業計画書』(農地転用申請書添付)には、北本に移転する製造研究棟は、「メディカルセンター内の基礎臨床医学研究棟において、研究的規模で得られたワクチン、抗生物質等について、大量生産に移行する手前の段階として、小規模(実用性上)の実証研究を行う施設」として建設するものであり、「又同施設内には、厚生、農林水産省の製造許可を了した生物学的製剤の製造部門を併設するが、さらに大量生産の展開可能な施設規模の構想を有している」ことが明記されているのである。同研究所の研究陣と右の計画書の内容から判断すれば、基礎医学研究棟におけるワクチン・抗生物質などの研究とは、遣伝子組みかえをふくむ研究であること、小規模の実証(じっしょう)研究とは動物実験であること、将来はこれらの技術を応用して、大規模な製剤を行うことなどが類推(るいすい)できよう。
このようなバイオテクノロジーによる遺伝子操作のもつ危険性については、従来しばしば指摘されてきたとおりであるが、それをどの程度、規制するかについては人によって見解がわかれよう。しかし平成三年二月に行われた環境庁調査(環境モニタ一千五〇〇人を対象にしたアンケート調査)によれば、バイオテクノロジーの遺伝子操作について、六十六.九パーセントがその有用性を認めながらも、七十四.九パーセントが生態系(せいたいけい)への影響など「不安だ」と答え、そして安全確保のためには、「厳しい規制が必要」四十八.九パーセントをふくむ七十七.六パーセントが何らかの規制を求めている(平成四・三・九『朝日新聞』)、という現実を無視することはできない。
遣伝子操作のもつ危険性について、昭和六十二年第四回・六十三年第一回・同年第二回定例議会において長時間に及ぶ質問が出され、また昭和六十三年二月には「北里研究所メディカルセンターの全貌(ぜんぼう)を明らかにすることを求める請願」が行われる(三月三十日議会上程)など、ハイレベルでかつ白熱(はくねつ)した討論が展開した。特に重要な問題点は、議員質問も請願書もほぼ共通しており、要約すればおよそ次のようなものであった(北本市資料)。
  • 研究施設において、遺伝子組みかえ実験を行うと聞くが、研究内容(扱うウィルス・細菌などの種類、ベクターなど)が不明である。
  • P1~P4のいずれの段階に対応する施設かが不明である。
  • 排水の総量規制がなく、処理に不安がある。
  • 実効ある検査体制を整え、安全協定を結ぶべきである。
注、Pとは、微生物(びせいぶつ)の危険度に応じて定められた物理的封じ込めの度合いを表す。コレラ・赤痢(せきり)菌、肝炎ウィルスはP2、チフス・ペスト菌はP3と、P1から順に封じ込めの度合いが強くなっている。なお、組みかえ遺伝子をもった敬生物が万一外に出ても、生きられないような細菌を用いての封じ込めを生物的封じ込めといい、B1~4の段階がある。

これに対して答弁の要旨は、次のようなものであった。
  • 遺伝子(いでんし)組みかえ実験は行なわれるが、P1~P2段階までである。
  • 排水(筆者注、B排水)は、市の指定業者による第三次処理のうえ、BOD十ppm以下(基準値は六十ppm)にして放流するので問題はない。
  • 市職員の研修をおこない、排水・廃棄物などの立入検査を有効に行なえるようにする。
  • 安全協定については、第二期工事完了までに締結する方向で努力する。

これまで再三掲出した建設事業計画書には、排水について、「B排水は市の指定業者が処理する」こと、「第三次処理を行なう」ことが記されており、また事前協議の協定書には、「所有地内で発生したゴミ及び汚泥(おでい)は、乙(北里研究所)の責任において処理する」(第八条)こととなっているが、相手まかせでよいのかどうか。そして研究所内での遺伝子操作(いでんしそうさ)は、将来ともP2段階までの研究にとどまるのかどうか。第二期工事が終わるまでに、職員の研修や立入検査・安全協定の締結がまたれる。もちろん例えばヒトの遺伝子をネズミに入れたからといって、ヒトとネズミの混血の子ができるはずがないが、危険の可能性があるとすれば、それを野放しにすることなく、疑問は疑問として声をあげていくことが必要であろう(反対を許さなかった旧ソ連・東欧(とうおう)における公害のすさまじさ、最新工場を疑うことなしに受け入れた水俣(みなまた)・四日市(よっかいち)などの悲劇を想起したい)。
安全性論議とは別に、昭和六十四年一月総合病院が完成し、平成元年四月に開業した。引き続き第二期工事が行われ、研究棟などの完成も間近い。

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