北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第3節 都市化の進展と農業の変貌

2 都市化と農業の変貌

新都市計画法の施行と農業綠地
表34 北本市農業緑地の春夏作-1974年度  (単位:アール)
作  物栽培面積構成寧(%)
水  稲76819.7
陸  稲1,44237.0
雑  穀150.4
い も 類1213.1
野  菜3659.4
果 樹(小計)66417.0
ナ  シ357
カ  キ58
ク  リ199
ウ  メ50
工芸作物551.4
1363.5
苗  木230.6
植  木1122.9
飼 料 作 物260.7
施設園芸(小計)1694.3
  ビニールハウス107
  温 室62
合  計3, 896100

(北本市資料より作成)

昭和四十四年、狂乱的な地価高騰(こうとう)対策と宅地需給関係のアンバランス是正(ぜせい)並びにスプロール(乱開発)防止を目的とする新都市計画法が制定された。新都市計画法は、市域を市街化区域と市街化調整区域に区分し、前者の農地を宅地並み課税で締めつけ、持ちこたえられなくなった農民から土地を吐き出させようというものであった。後者については、都市計画の目的に合致する開発、それも二十ヘクタール以上の事業規模を有するものに限って認めるという、いわば事実上の厳しい転用規制であった。その結果、都市化の激しい波に洗われて、北本の市街化区域では、市当局の農業緑地指定や国の生産緑地指定による農地保全策にもかかわらず農地減少がドラマチックに進行していった。昭和四十八年に二六〇ヘクタールあった市街化区域内の農地は、五十五年には約二〇〇ヘクタール、昭和末年には約一一〇ヘクタールにまで減少し、 ようやくここ数年横ばい状態となった。
新都市計画法の施行に伴う線引きの結果、市街化区域内に編入された一部農家は、宅地並み課税に対して強い反発を示した。このため、関係市町村は増税分に見合う助成措置を案出し、市街化区域内農家と農業の保護条例ー農業緑地制度ーを制定する。北足立郡市の場合、保護措置はまちまちで固定資産税及び都市計画税の宅地並み課税分相当額を一定の条件を備えた農家の農地に限り助成する(川口、浦和、大宮)ものから、同じく増税分の半額を助成する(上尾、戸田)ところ、さらには固定資産税の一部を助成する(志木(しき)、新座(にいざ))などさまざまであった。指定の要件についても市町村によってさまざまであるが、五年以上農地として利用され、かつ十アール以上のまとまりをもつ農地というのが平均的な条件であった。いずれにせよ「ゴンべー(国)が種播(ま)きゃカラス(地方自治体)がほじくる」、あるいは「マッチ(国)ポンプ(地方自治体)」という性格を一面に持ったなんとも奇妙な関係であった。
ところで、北本の農業緑地制度をみると、線引きが実施された時点で、市内農地面積の二十五パーセント(二四七ヘク夕ール)と農家の三十パーセント(三二〇戸)が市街化区域に編入された。区域内農家の平均経営規模も七十アールと比較的大きく、この中には専業農家、第一種兼業農家も少なからず含まれていたことから、これら農家の農地保全問題が市議会で審議され、昭和四十九年度から農業緑地制度が実施されることになる(現代No.九十二)。こうして成立した農業緑地の指定条件は、市街化区域内農地を三十アール以上耕作する農家であること、五年以上耕作する意志を有し、十アールを有することになっている。この条件に該当する農家は一一七戸、六十九.九ヘクタールであった。
ここで昭和四十九年当時の農業緑地の利用状況を北本宿・中央・北中丸の農地二八三筆についてみると、水・陸稲(モチ米)が過半数の五十四パーセントを占め、労働力不足に対応した作物編成の特色を示している。これに梨、栗を主体とする果樹(二十二パーセント)根菜、果菜からなる野菜類(十一パーセント)が続き、その他として温室、植木・苗木類、甘蒔(かんしょ)があげられる。全体的には省力型の作物が多面積を占めるが、ビニールハウスを含む温室や梨、野菜等の労働集約的な作物もみられる。また商品作物の占める割合いが比較的高く、したがって指定農地では健全な農業的土地利用がなされていたといえる。

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