北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第3節 都市化の進展と農業の変貌

2 都市化と農業の変貌

観光農業と新隹民
都市と近郊農村は本来、労働市場、農産物市場を介して相互依存の関係にあった。ところが、今日のように都市の拡大が急激に進行すると、近郊農業と農家は状況変化にうまく対応できなくなり、都市化のマイナス影響が目立ってくるようになる。たとえば農業労働力の老齢婦女子化、商品作物生産の減少、自給型兼業農家の増加、耕地の荒廃(こうはい)など農業の衰退を示す現象は都市近郊農村のどこにでも見出される。いわば、都市の発展は農業の衰退のうえに成り立つという状況が一般化している中で、ごく一部には都市化の進展、都市人口の増大をうまく農業経営に取り込んでいる人たちの姿もみられる。いわゆる観光農業の導入がそれである。
北本の観光農業がいつ、どこの、だれによって、どの部門から始まったか定説はない。しかし、民間・公団団地群の建設などを契機として、自然発生的に行われるようになった観光農業は、昭和五十四年十二月の北本観光農業協会の設立、平成元年十一月の北本市観光農業協議会の設置によって市民権を獲得(かくとく)し、いまではすっかり新市民に親しまれる存在となっている。こうした組織面の強化と同時に、観光農業部門も昭和五十四年当時のサツマイモ、イチゴ、ブドウの三部門から増加を続け、平成元年にはこれらのほかにリンゴ、養液(ようえき)トマト、キュウリ、ナシ、シクラメン、キク、洋ランなども加わり、経営部門、農家とも大きな広がりを示した。
ところで観光農業にはいくつかのタイプがみられる。具体的にはリンゴ、ブドウ、ナシ園のようなもぎ採り、買い取り型、イチゴ畑のような圃場(ほじょう)借入れによる摘(つ)み採り自由型、花卉のような観賞・単純買い取り型、さらにはサツマイモ畑のような掘り揚げ本数指定の買い取り型などがある。
平成三年度における観光農業の中でもっとも生産者の多い部門順に列記すると、ナシ(二十戸)、ブドウ(九戸)、サツマイモ(八戸)、イチゴ(六戸)、養液トマト(四戸)、リンゴ(三戸)、その他キュウリ、野菜一般、シクラメン(各一戸)となり、シイタケ、カキの観光農業は残念なことに近年、廃止され、かつて五戸あった洋ラン、キク部門も一部農家は消えていった。
北本の観光農業の分布は市域全体にわたって万遍(まんべん)なくみられるが、部門別にみると、ナシのもぎ採り園は東の宮内・朝日・中央・本宿、西の高尾・荒井の各地区に集中し、サツマイモの掘り採り畑は石戸の南部に、イチゴの摘み取り園とリンゴのもぎ採り園は北西部の荒井にそれぞれまとまっている。なお、観光農園とともに市民に親しまれてきたものに農産物の直売所がある。直販体制は、大部分の観光農園でも宅配便の普及とともに併用するようになっていたが、これは市民の台所と直結するよりむしろ故郷や知人への贈物に利用されることが多かった。

写真51 農産物生産直売所

平成4年 石戸宿

写真52 観光農園のナシのもぎ採り

平成2年


その点、農業青年会議所(八戸)、台原(だいはら)野菜生産組合(五戸)、中丸産直組合(三戸)、東産直組合(四戸)、味覚散策四季の里(八戸)などの野菜直売所の経営は市民の台所と直結し、親しまれるというより頼られる存在となっている。結局、観光農園と直売所の経営は、生鮮農産物をより安くより早く市民のもとへ届けるだけでなく、農業理解と混住化社会の新旧住民の心を結ぶきずなとしての大役を果たしているということになる。

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