北本市史 通史編 現代
第2章 都市化から安定成長へ
第3節 都市化の進展と農業の変貌
2 都市化と農業の変貌
台地畑作物の特色と移り変わり農業を中心に生計を営む農家が激減し、逆に経営規模の零細化(れいさいか)した兼業農家が増加していくなかで、北本の農業崩壊が進行していった。こうした農家形態の変化を反映しながら、北本の農業はどんな足取りを示してきたろうか。結論的にいうと土地改良事業、農業構造改善事業、農業近代化事業等の行政的努力にもかかわらず、北本の農業はごく一部の農家を除いて近代化の機会を逸(いっ)し、他産業なみの所得を実現することはできなかった。
元来、大宮台地北半部の農村は、台地の普通畑作プラス谷津田の水稲栽培を組み合わせた米・麦・いも類型のいわゆる穀しゅく農業が戦前から確立していた。首都近郊農村的位置にもかかわらず、生鮮な農産物を都市に供給する近郊農業の発達はとくにみられなかった。むしろ中山道麦の名で知られた大麦をはじめ米、小麦、いも類を中心とする農業は、戦中・戦後の食糧統制(作付、移動、価格)によっていっそうその地位を高めていった観がある。
表36からも分かるように、戦後間もない昭和二十五年にはひどい食糧難を反映して、水稲のほかに陸稲(おかぼ)、麦類、雜穀類、いも類等の澱粉(でんぷん)質作物の作付けと桑園が多かった。その後、昭和三十年代前半までに雜穀やいも類の栽培が目立って少なくなり、次いで四十年代前半にかけて麦類、陸稲、桑園が減少していった。
表36 北本市における栽培作物の推移 (単位:ヘクタール)
年度 作物 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1985 |
---|---|---|---|---|---|
水 稲 | 148 | 169 | 289 | 295 | 264 |
陸 稲 | 225 | 381 | 164 | 87 | 81 |
麦 類 | 639 | 671 | 353 | 200 | 224 |
雑 穀 類 | 260 | 4 | 2 | 3 | 1 |
い も 類 | 428 | 254 | 88 | 35 | 23 |
豆 類 | 65 | 44 | 25 | 21 | 27 |
野 菜 | 156 | 138 | 80 | 56 | 59 |
工芸作物 | 18 | 26 | 37 | 5 | 2 |
花卉・植木 | 0.6 | 0.4 | 4 | 5 | 7 |
種苗・苗木 | 24 | 6 | 9 | 2 | 2 |
飼料作物 | 15 | 4 | 5 | 4 | 3 |
果 樹 圍 | 5 | 8 | 50 | 70 | 68 |
茶 園 | 9 | 8 | 3 | 1 | 1 |
桑 園 | 157 | 118 | 52 | 23 | 16 |
施設園芸 | 0.2 | 0.4 | 2.5 | 24 | 10 |
耕地面積 | 1,098 | 1,094 | 870 | 651 | 633 |
1980・1985年の陸稲面積は関東農政局埼玉統計情報事務所資料による(『農林業センサス』より作成)
これに対して、昭和三十五年以降、高度経済成長の影響を受けて、少面積ながら果樹園、施設園芸、花卉(かき)・植木類などが市内各地の農家に導入されていった。これら微増傾向の作物のうち前二者は、手間はかかるが現金収入面では魅力のある部門であり、後者は労働節約的・省力部門という点に特色があり、それぞれ導入の理由は異なるものであった。しかも上記各部門の導入の仕方も農家の性格、たとえば専業型経営を目指す農家では、植木類の裁培で余剰化した手間を施設園芸の経営に振り向けるとか、兼業農家の場合、手間がないから草畑にして周囲に迷惑をかけるよりは、植木を入れておくとか、栗を植えるとかいうように、それぞれ異なっていた。
なお北本では、近郊農業地帯の一角を占めていた割りに露地野菜類の作付けは、戦後一貫して減少し続けてきた。結局、後で述べる畜産酪農とも関係することであるが、戦前からの伝統的な普通畑作に代って、高度経済成長期以降いわゆる果樹、畜産・酪農、野菜等の需要増大==所得拡大を期待された部門、正確には選択的拡大再生産部門の導入は、わずかに果樹を除いて、発展をみることなく農業衰退期を迎えることになる。
一方、畜産・酪農部門をみると、終戦後から昭和三十年代前半までは役牛、馬、豚、山羊(やぎ)などの中・大型家畜が一~二割の農家で飼育されていた。しかし飼育農家一戸当たりの平均飼育頭数はほぼ一頭にとどまり、多数農家の少頭飼育傾向示していた。また一部農家には緬羊(めんよう)や山羊が飼育され、かつての自給自足時代の残像がみられた。
昭和三十年代半ばになると、カルチベーター(耕耘機(こううんき))の普及で役牛・馬の姿はみられなくなり、代わって肉牛、乳牛、採卵鶏が飼育農家の減少、飼育頭羽数の増加を伴ないながら進行していった。俗にいう「少数農家の多頭飼育化」と呼ばれる状況が深まっていった。ただしこの傾向も特筆するほどの地域的まとまりと発展をみるまでに 至らず、点在にとどまっている。なお近年は住宅地の拡大や後継者難により養豚・酪農の緩(ゆる)やかな後退が進んでいる。