北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第4節 工業化の進展と分布・特色

2 立地工場の規模と業種

北本を含めて埼玉県で最も工場の進出が目立ったのは、昭和三十四年以降四十八年ごろまでの間であった。データの関係で昭和三十五年から四十三年までの県内立地工場数をみると、総数三六三九社のうち七〇パーセントに近い工場が、都心四〇キロメートル圏内(杉戸(すぎと)ーーー蓮田(はすだ)ーーー上尾ーーー川越(かわごえ)ーーー入間(いるま)を結ぶ線内)に集中的に立地している(北本市資料)。この状況を反映して、都心五〇キロメ—トル圏に立地する北本でも約六〇社の立地がみられ、四〇キロメートル圏外では、熊谷、深谷に次ぐ立地状況であった。

図25 昭和43年対54年比の北本の工業の変化

(『工業統計』より作成)

これらの進出工場には零細(れいさい)工場が多く、六〇社を超える工場のうち従業員数二〇人以上のものは一六社に過ぎなかった。ただし一六社の従業員数は一〇四〇人に達し、その割合は、昭和四十三年当時の北本所在工場の従業員総数ニ九四七人の約三五パーセントを占めていた(現代NO.一〇六)。以上のことから、北本に進出した工場のうち比較的規模の大きいものは、ほとんどこの時期に展開し、市域の工業発展の中核を形成していることが分る。
次に北本に立地した工場の特色を産業中分類を参考にして整理すると、図25のようになり、具体的には次のとおりである。
ー、高度経済成長期後半段階の北本のエ業は、重化学工業と軽工業の割合がほぼ同じで、業種的にも特色の少ない構成を示していた。
二、その後、軽工業部門は工場数、従業員数とも伸びが少なく、重工業部門は両者とも倍増している。その結果、高度経済成長期から安定成長期にかけての工業化の進展は、北本の工業を従化学部門型に特色づけることになった。
三、一方、工場数、従業員数の増加にもかかわらず、重化学工業、軽工業の両部門、各業種にわたって平均従業員数の著しい減少が進行した。このことは、高度経済成長期後半以降の工業化が零細企業を主体に展開したことを示している。

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