北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第1節 町制下の行・財政

2 都市化に対応する行・財政

増大する投資的経費
町制期の財政は、高度経済成長による税の増収で、戦争直後の壊滅的な状態とくらべてはるかに好転していたが、都市型の生活基盤投資が増大して歳出を膨脹させ、昭和二十年代とは違った意味での窮迫(きゅうはく)が続いていた。二十年代の窮迫がドン底の窮乏だったとすれば、道路や上下水道などの住民要求に対して、ない袖(そで)は振れぬ状態だったといえようか。このような財政状況を図13によって、まず歳出からみることにしょう。この期の歳出は昭和二十年代にくらべて、人件費の割合が相対的に低下した反面、投資的経費がいちじるしく増大しているのが注目される。投資的経費のなかには、昭和三十六・三十七年度の北本中学校増築・役場庁舎新築による突出もあるが、昭和四十年代になるとこれが連年高い割合を占めるようになる。そのおもな使途は、道路の舗装や側溝の整備、学校の新増築などであり、都市化への対応が最大の行政課題であった。
次に図14によって歳入をみよう。シャウプ税制実施直後の昭和二十五年度には、歳入に占める町税の割合は六〇パーセント台であった。ところが十年間にほぼ十倍の増収となったのにもかかわらず、昭和四十年代に入るとその割合が急激に低下して昭和四十五年度には三〇パーセント以下となり、代って地方交付税、国庫支出金などの割合が高まる。それは歳出の急激かつ大幅な増加のため、十倍の増収をもってしても町税では賄(まかな)いきれなかったためである。こうして国家財政への依存を強めていくことによって、財政上の問題にとどまらず、地方自治は形がい化していった。地方自治法の第一次・第二次改正(昭和二十七・三十一年)を通じて、地方自治の形がい化はすでに進みつつあったが、財政の国家依存がそれを決定的にしたのである。すなわち地方財政は、地方交付税や補助金の配分、起債の認可を通して国や県にコントロールされるようになり、これをテコにいわゆる三割自治へ変質していった。
財政が明白に表わした都市化の進行、それへの対応に追われる行政、これを主眼に町制期の行政について、以下に記すこととする。

図13 昭和35~45年度歳出の推移

(『広報きたもと』により作成、☆は決算、☆☆は予算を示す)

図14 昭和35~45年度歳入の推移

注 地方交付税、国庫支出金は、年度途中で決定されるため、決算に正確に表れるが、通年の資料を欠くため予算で示した。したがって実態より低い比率で表れている。 (各年度・北本町歳入歳出予算より作成)


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