北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第5節 商業の発展と商店街の再編成

2 買物動向の推移と商圏

買物動向と推移
昭和四十三年七月に実施された北本町商工会調査(町内三小学校一一六家庭)から町民の買物行動の特色をみると、飲食料品、文具類、日用品雜貨類などのいわゆる最寄品(もよりひん)がいずれも八〇~九〇パーセントと高い地元吸収率を示し、医薬品、化粧品が六〇パーセント台、家具、電気機器、下着類、寝具、玩具(がんぐ)が四〇パーセント台と続いていた。他方、県内流出率の高いものはカバン、紳士靴(くつ)、婦人・男子既製服、呉服類で二〇~三〇パ—セントが大宮へ流れ、一〇~二〇パーセントが鴻巣に流れていた(現代NO.一一一)。これらの買廻品(かいまわりひん)のうち、とくに指環・時計、男子靴、男子既製服は、二五パーセント前後が東京へ流出していた。その結果、買廻品の地元吸収率はどれも一〇パーセント台にも満たない状況であった。
さらに地域商業の吸収力の弱さを昭和四十四年二月の北本町商工会のアンケート調査(前掲一一六家庭)から視点を変えて検証すると、商店街に対しては楽しい雰囲気がない(四三パーセント)、まとまりがない(二九パーセント)の二点が、また商店に対しては品ぞろえを豊富にすること(五ニパ―セント)、気楽に選べること(三五パーセント)のニ点がそれぞれ指摘されている。結局こうした点が嫌われて買廻品における高い流出率となり、やがて大型店進出の素地(そじ)をつくることになっていった(現代NO.一一ニ)。
その後、大型店の相次ぐ進出やこれに刺激された既成商店街の経営努力によって北本の商業力ーーー地元吸収率は大きく躍進する。昭和六十年二月実施の市内小学校二年生の父兄ニ〇九人に対する調査結果をまとめた『北本市商業調査報告書』(図30参照)によると、最近の市民の買物動向は地元吸収率六七・六パーセント、県内流出率二五・四パーセント、都内流出率六・七パーセントになっている。商品別では、食料品、雑貨類、下着、自転車、運動用品、園芸用品、医薬品、文具類等の地元吸収率が高く、紳士服、呉服、家具・インテリア、履物、カバンなどの高級品の市外流出が依然としてかなりの比重を占めている。いわゆる日常消費的な最寄品は地元で、高価高級な買廻品は市外(大宮・都内)でという地方小都市に共通するパターンが北本でもみられる。

写真55 いまひとつ活気が欲しい北本銀座

平成3年 北本

図30 小学2年生父兄の買物動向

(昭和59年度『北本市商業調査報告』より引用)


ここで昭和四十三年時と六十年時における市(町)民の買物動向を大まかに比較し、要約すると次のようなことがいえる。(一)家具・インテリアを除くすべての商品において地元吸収力の高まりがみられた。(二)このうち、もともと地元吸収力の高い最寄品(もよりひん)の伸び率は微弱であるが、買廻品を中心におよそ二倍前後の伸び率がみられ、とりわけ楽器・レコード(八倍)、カバン・ハンドバック(三倍)、婦人・子供服(三倍)の伸びは著しいものであった。(三)なお、地元吸収力の拡大による影響の度合いは県内、都内ともほぼ同程度であった。
次に買物動向を市内に限ってみると、駅西口周辺のスーパーが四四パーセントと抜群の吸収力を発揮しており、ついで同小売店が二二パーセントとなり、駅西口周辺だけで過半数を吸収している。これに対して、駅東口周辺ではスーパーが三パーセント、同小売店が八パーセント、さらに駅周辺以外のスーパーが六パーセント、同小売店が一七パーセントを示している。以上のことから駅西口の高い商業力と東口の地盤沈下とが、新旧商店街のコントラストを形成していることが明らかである。
ただし北小学区、中丸小学区の父兄は東口周辺商店街の小売店と、また石戸小学区、東小学区の父兄は近隣の小売店とそれぞれ二〇~三〇パーセントの依存関係を維持している。このことは、地理的に身近な商店と住民との人間関係の大切さも品質管理、価格対策、アメニティ空間の創出(そうしゅつ)などの現代的課題とともに、今後の大型スーパー対応策として見直す価値がありそうである。

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