北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

1 急増する人口

人口の増加は都市化の重要な指標である。人口がいつごろからどのように増加したかを調べることにより、都市化の重要な側面を知ることができる。以下、北本の人口増加の傾向をみてみよう。
表38から、昭和三十年代前半までの微増と、三十年代後半からの急増の状況がわかる。急増の時期は後にふれる北本に団地が進出を始めた時とちょうど一致している。三十年代後半から五十年代初期までが、北本の人口が最も高い率で増加した時期であった。三十年から三十五年までの増加率が八・六パーセントであったのに対して、三十五年から四十年までは三一・六パーセントと四倍弱、四十年から四十五年までは五三・四パーセントと七倍弱の増加率が記録される。さらに四十五年から五年間の増加率も四七・八パーセントにのぼり、急激な人口増加期が継続したことを知ることができる。特に市制施行時である四十六年前後の増加率はきわめて高く、とりわけ四十七年の増加率は二〇パーセントに達している。理由は日本住宅公団北本団地の入居によるものであった。五十年以後は増加率は低下したが、依然ゆるやかな人口増加が続いている。
表38 人口推移  (各年10月1日現在)
人口
人口増加率 (%)
総 数
昭和30年14,2637,1447,119
3114, 7217,3807,3413.1
3214,8257,4297,3960.7
3315,0477,5447,5031.5
3415,3007, 6777,6231.7
30~35 (8.6)
%
3515,4837,7907, 6931.2
3615,7937,9157,8782.0
3716,5728,3338,2394.7
3817,1848,7078,4773.6
3918, 6779,4779,2008
35 ~40 (31.6)
4020, 37410, 31510,0599.2
4123,21011,84511,36511.3
4225,27712,87512,4028.9
4327,11013, 81513,2957.3
4429, 74315,12614, 6179.7
40~49 (53. 4)
4531,57316,05415,5196.1
4633,56116,99916,5626.3
4740,43620,49919,93720.5
4842,88721,74221,1456.1
4945, 26122, 89622,3655.5
45 ~50(47.8)
5046, 66523, 61923,0463.1
5147,63224,06623,5662.1
5248, 71124, 59624,1152.3
5349,81225,17324,6392.3
5450,28225,38624,8960.9
50~55 (9.2)
5550, 97025, 66025,3101.4
5653, 03626, 65626,3804.1
5755, 68127, 97627, 7055.0
5856, 55128,37728,1741.6
5957,53528,87028,6651.7
55 ~60(14.1)
6058,17229,18528, 9871.1
6159,09029, 69229, 3981.6
6260,22833,26329, 9651.9
6360,87430, 64530,3451.1

※昭和63年のみ6月1日現在人口(住民基本台帳より作成)

この増加傾向を県内の他の市、町と比較したものが表39である。ここに表わされている各市、町はいずれも人口増加が激しい点では北本と共通しているが、個別に見ると次のようなことがわかる。朝霞(あさか)、志木(しき)、和光(わこう)、新座(にいざ)などの県南西部の諸市は、昭和三十年から三十五年の時点ですでに増加率が一〇パーセントを超えており、三十五年から四十五年にかけて急激な増加期をむかえている。東京に隣接していることが、比較的早い時期での人口急増をもたらしたのである。
表39 市町人口の増加比較  (単位:%)
増加率
市町名
昭和30年の人口(人)30~35 年の増加寧35~40年の増加率40~45 年の増加率45~50年の増加率50~55年の増加率55~60年の増加率
上  尾35,4809.640.9102.332.113.67.4
桶  川19, 7058.131.937.724.116.110.3
北  本14, 2638.631.655.047.89.114.2
鴻  巣31,4341.414.615.023.010.66.1
吹  上11,5684.619.719.18.920.410.6
35,18444.836.810.8 —1.2—7.1—0. 6
戸  田19, 88254.770.132.911.01.7—1.9
入  間34,6976.440.526.128.523.414
朝  霞16,46546.9113.190.1一16.510.24.8
志  木10,52316.566.955.436.916.915.7
和  光13, 32529.48027.317.76.911.1
新  座11,70023.1156.1110.740.39.58.4
埼 玉 県2,260,4927.52428.224.712.48.2

(『統計年鑑』より作成)


戸田・蕨(わらび)という東京に近い県南の市も、昭和三十年ごろには急激な人口増加がはじまり、五十五年以降はむしろ増加はとまっている。高崎線沿線では、上尾、桶川、北本がよく似た傾向を示している。北本は、人口増加という面から見れば、北隣りの鴻巣ではなく、南隣りの桶川や上尾と同じグルーブに分けることができる。これは、高崎線で上野駅まで五〇分程度で通勤が可能であることが大きな増加理由であった。
人口増加に伴ない、当然ではあるが人口密度も急増している。また、一世帯当たりの家族人員は、昭和三十年の五・五人から、六十年には三・五五人と減少し(表40参照)、いわゆる核家族化現象が進んでいる。ここに、都市化の進行による社会意識、家族意識の変化を読みとることができる。

図31 北本の人口動態

(『町勢要覧』『市勢要覧』より作成)


表40 人口密度と1世帯人口の変化
項目
人口密度(1k㎡あたり)1世帯の人口
昭和30年726.65.5
35788.75.1
401,037.94.3
451,608.43.9
502,377.23.6
552,596.53.6
602,963.43.5
633,101.13.4

(住民基本台帳より作成)


人口の増加は、出生数と死亡数の差である自然増加に転入と転出の差である社会増加を加えたものである。図31を見れば人口増加期の増加の内容を知ることが可能である。四十年代、すなわち人口が急激に増加した時期は圧倒的に社会増に依存している。特に四十六、四十七年の社会増数は大変に多いが、これは大型団地である日本住宅公団北本団地の進出によるものである。五十年以降はむしろ自然増が社会増を上まわるようになった。以上のことから、北本の人口急増は、首都圏の住宅衛星都市としての立地条件が評価され、各種の団地が進出したことによるものであったといえる。
表41 一日の流入人口、流出人口の変化
 流入人口流出人口総数大宮浦和桶川上尾鴻巣左記以外の県内東京他県
昭和40年9015,7596104315262955262,1992,47247
452,0789,0769366827305495273,2624,032104
503,41913,2511,4138769758736214,5646,208190
554,84415,1641,5611,0101,1111,1968866,1156,141337

(『町勢要覧』『市勢要覧』より作成)


表42 産業別就業人口の割合  (単位:%)
 第1次産業第2次産業第3次産業
昭和30年57.016.726.4
3540.0(30.2)29.4(28.0)30.6(41.8)
4024.2(25.0)38,5(32.0)37.3(43.0)
4513.9(17.4)44.2(35.1)41.9(47.5)
507.2(13.9)41.5(34.1)51.3(51.7)
555.2(9.3)39.8(33.0)54.9(57.5)

( )は国全体  (『国勢調査結果』より作成)
第1次産業:農業、林業、水産業
第2次産業:鉱業、建設業、製造業
第3次産業:卸売、小売業、金融保険、不動産業、運輸通信業、電気ガス水道行、サービス業、公務


次に、表41の一日あたりの流入・流出人口をみてみたい。これは流入人口も流出人口も増えているが、流出人口の方が圧倒的に多く、増加数も流入人口より多い。北本は、首都圏の衛星都市として発展してきたことが、ここでもうかがえる。流入人口の増加は、産業の発展によって北本に工場が建設されることによるものである。流出人口は、東京や県南地域への動きが特に目立っている。
表42は産業別就業人口である。経済の発展にともなって第一次産業より第二次産業の比重が高くなり、さらに第三次産業の比重が高くなると言われている。我が国でも、昭和三十年代初頭からの高度経済成長によって、急激に第二次産業、第三次産業の比重が高くなっている。この傾向は北本にもあてはまり、第一次産業人口は三十年以後激減している。一方、第二次産業人口は四十年代半ぱまで増加し、以後は横ばいとなり、第三次産業人口は一貫して増加し、六十年には五七・五パーセントに達している。
以上要約すると、北本では昭和三十五年以降、社会増を要因とした人口増加が急激に進み、東京、県南地域への通勤者のベッドタウンとして都市化が進行したことがうかがえる。
こうした人口の増加は町の発展の原動力となったが、一方では、住宅建設、衛生施設の近代化、混雑する交通の緩和(かんわ)など各所で行政需要を生むこととなった。

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