北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

4 都市化と交通問題

バイパスに歩道橋かかる
昭和三十七年国道十七号バイパスが開通したが、交通量は予想以上に多く、また、日本の産業経済の発展にともなってさらに増加することが見込まれた。車の速度も従来に比べ速く、道路幅も広いため、便利さの反面として危険が常に生じていた。特に、バイパス西側から横断して中丸小に通う児童約八三名にとっては、信号機が設置されたとはいえ、大きな危険をともなう通学であった。
そのため、バイパスに陸橋を架設する動きが急速に高まってきた。北本では同三十七年六月、町長を会長として「北本町十七号国道バイパス線陸橋架設期成同盟」が結成され、バイパスの安全な横断のために歩道橋を架設する請願運動が展開された。期成同盟の役員には、町長をはじめとして、町議会議長、教育委員長、区長会長、北本中PTA会長、中丸小PTA会長、石戸小PTA会長、北本安全協会支部長、勤労者連合会長、商工会長、婦人会長、消防団長、中丸農協組合長、石戸農協組合長など各界の代表が名を連ねており、町を挙げての運動であったことがうかがえる。特に、児童の安全に関わる中丸小PTAでは、関口重太郎会長を中心に陸橋架設の要望運動を活発に盛りあげていった。それについて『中丸小学校八〇年史』により陸橋架設までの歩みを追ってみよう。
昭三七・五・八 学校長、教育長、人道橋建設について町長と相談        
三七・五・一三  PTA総会に於て人道橋建設希望を正式表明する                  
三七・五・一四 学校長、栃木県桑絹町人道橋「愛の橋」視察
三七・五・ー九 北本町PTA連合会理事会に於て、中丸小PTAより人道橋建設希望表明、協力方要請
三七・六・二  中丸小PTA常任委員会に於て、人道橋建設促進の架設の期成同盟結成発起人会をつくることを決定
三七・六・一七 北本町バイパス人道橋架設期成同盟発起人会開催
三七・六・ー九 中丸小PTA常任委員会に於て、期成同盟大会準備打ち合わせ
三七・六・ニ四 人道橋架設期成同盟結成大会開催さる
三七・七・五  期成同盟理事会開催
三七・七・一ハ 埼玉県北足立郡北本町十七号国道バイパス線陸橋架設期成同盟名を以て、開係諸機関宛陳情書提出、請願
三七・八・一〇 人道橋架設促進のためPTA副会長・学校長・教頭・町長・再度大宮国道事務所長訪問、懇請
三七・一一・一八 中丸小PTA役員全員桑絹町人道橋視察
三七・一一・二八 期成同盟理事会、人道橋建設決定の報告をする
三八・二・五  人道橋工事開始
三八・二・九  期成同盟理事会開催
三八・三・一四 中丸小委員会人道橋落成準備会開催     
三八・三・三〇 人道橋落成式 中丸小学校校庭において盛大に挙行され、ひきつづき人道橋渡り初め式を行う
三十七年七月の架設請願では架設要望理由を次のように述べている。

写真60 歩道橋の渡り初め

昭和38年 (北本中丸小学校提供)
国道17号バイパスと駅前通りの交差点に、北本初めての歩道橋が完成し、児童達の安全な横断が確保された。

陸橋架設の要望(抜すい)
理由
(1)一般状況から
中丸小学校地先一七号国道バイパス線の交通量は、日に一万五〇〇〇台と称され、尚逐日(なおちくじつ)増加しつつあって車両は大型高速化し、其の上道路幅員(ふくいん)が広く、成人步行者であってもこれが横断は危険そのものであり、まして幼小な学童にとり日々生死を懸けたこの横断は、むしろ能力を無視したものであるとさえ言わざるを得ません。
(2)特殊事情から
要旨に述べたように、同地点は八三〇余名の中丸小学校児童と一八〇余名の北本中学校生徒がこの危険な状況下に日々通学しており、学校当局並びに七〇〇余世帯父兄の心痛は実に目にあまるものがあります。バイパス沿線中他市町村に先んじて交通自動信号機が設置された事実は、この特殊事情が県当局にいち早く認定されたことを実証するものであって、地元関係者の最も喜びとするところでありますが、ここにまことに遺憾(いかん)なことはこの信号機を車両運転者が厳守せず(停止線で止まらない。甚(はなはだ)しきは赤で通過する)そのために不測の危険度がむしろ増大している事実であります。このため約七〇〇余名のPTA会員学校職員が毎朝夕立番に立ち児童生徒の補導に当っておりますが、立番者自身危険を感じている実情では、いつ痛ましい犠牲者が続出するか全くはかり知れないわけで、遺憾心痛の極みと言う外なく、こゝに根本的な対策の切望される所以(ゆえん)があるわけであります。(『市史現代』N0.一四六より引用)
このように関係者をあげて展開された陳情運動が実を結び、昭和三十八年三月、バイパスに歩道橋が架設された。今まで危険を伴いながらバイパスを横断しなけれぱならなかった中丸小児童を始め、住民も、歩道橋を利用することにより安心してバイパスを渡ることができるようになり、以後の歩道橋建設の先駆(さきが)けともなった。

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