北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

4 都市化と交通問題

生まれ変わる北本駅と西口
すでに第二章第一節でみたように、日本住宅公団北本団地の建設に際し、北本駅こ線橋の建設と西口駅前広場の整備が計画されていた。
こ線橋建設の場合は公団全額負担、西口広場整備の場合は公団が費用を立替え、さらに負担金を一部支出するという覚書がかわされていた。こ線橋は、線路の上にまたがってかけられた橋のことで昭和四十六年九月に完成した。こ線橋の完成によって便利となったのは駅西側からの利用客である。従来は、北本駅の南か北のそれぞれ約三〇〇メートル離れた踏切を渡って駅まで行かなければならなかった利用者にとって、大変な朗報であった。そして西側からの駅利用が容易になつたことは、西側への住宅進出をさらにおしすすめることともなった。
こ線橋の完成はそれ自体が最終目的のものではなかった。駅舎橋上化への準備と考えられていたのである。橋上駅舎建設運動が実を結び、昭和五十一年九月着工、翌五十二年十月一日から、橋上化した北本駅が誕生した。これにより、西側からの利用者は一層便利となった。
西口開発が本格的に進んだのは、西口広場の整備後である。昭和四十六年から五か年計画で行われた整備事業は五十年四月に完成した。広場の完成により、周辺に銀行、商店が続々と進出し、西口の景観は一変した。北本の発展を象徴する姿であった。

写真63 北本駅ご線橋

昭和46年 中央
昭和46年に完成したこ線橋。西口と東口を結び、現在の橋上駅舎のもととなった。

写真64 懐かしい北本駅

昭和40年ころか 北本
今では橋上駅舎となったが、昔日の北本駅を東口からのぞむ。

しかし、これについても問題がなかったわけではない。その一つに、広場に乱雑に置かれた自転車の惨状があった。これは沿線各駅でよく見られる情景であるが、住宅が駅から離れた所に建設されるようになると、駅までは自転車を利用し、そのまま広場に乱雑に置いていってしまうのである。道路交通上きわめて危険であり、美観(びかん)上も問題であった。市では自転車臨時駐輪場を設置して解決をはかったが、駐輪場の収容可能台数以上に自転車が増加する状態であり、常に駐輪場の拡大、改善が必要とされることとなった。そこで平成三年に駅西口に二六一六台、東口に八二三台のバイク・自転車が収容できる市営駐輪場を新設し、ようやく駅前の放置自転車を一掃した。

写真65 西口の変容ー1

昭和50年ころ 中央
かつての西口駅前通り、右手方向にこ線橋が見える。

写真66 西口の変容ー2

昭和50年ころ 中央
現在の西口広場が完成。

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