北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第7節 学校教育の発展と進む社会教育

2 児童・生徒の増加と学校新設

待望の北本高校新設される
昭和四十七年に誕生した畑和埼玉県知事は、公約実現のため高校新設に取り組んだ。四十年代末から五十年代半ばは埼玉県の高校急増期である。北本高校も急増期の一校として五十年に開校されたのである。

写真71 北本高校用地造成工事

昭和50年 古市場

四十七年の桶川高校の新設により、北本市内からも多くの生徒が桶川高校に通うようになった。しかし、地元にも高校建設をという市民の声が日増しに高まっていた。市内の中学校卒業者は年々増加し、しかも進学率は九〇パーセントを超えており、進学率はさらに高くなることが予想された。
一方、中学卒業者の九〇パーセント以上を受け容れることになる髙校では公立高校が不足していた。そのため学費の高い遠距離の私立高校へ通学させざるをえない状況にあり、高校進学期の子供を持つ父母にとっては頭を悩ます問題であった。
このような状態の改善のため、埼玉県では高校が数多く新設されていくが、北本でも中学卒業者の急増を考えると事態は深刻であり、高校誘致は市民の熱い要望の一つであった。
市民の強い要望をうけた北本市議会では、昭和四十七年から高校誘致の件をしばしば取り上げ、同年九月には県議会に誘致請願を行い、十月には請願が採択され北本高校の建設が進められていくことになった。
建設予定場所は、古市場地内の水田地帯であり、北本駅より徒歩二〇分、学習活動には絶好の環境に恵まれた場所であった。
北本高校の男子の制服はブレザー、ネクタイと決められた。これは当時の公立高校として珍しい試みであり、生徒の人気は高かった。昭和五十年四月、第一期生二八四名が入学したが、市内出身者は、北本中から四七名、東中から三五名の計八二名と約三割を占めており、地域に根ざした高校として発展が期待された。

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