北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第7節 学校教育の発展と進む社会教育

3 社会教育の進展

文化財保護
表57 指定文化財一覧表
(1)国指定文化財
名  称種  別所  在  地分布図 No.指定年月日
石戸蒲ザクラ天然記念物大字石戸宿1,454番地 東光寺大正11年10月
(2)県指定文化財
名  称種  別所  在  地分布図 No.指定年月日
板石塔婆考古资料大字石戸宿1,454番地 東光寺昭和40年3月
多聞寺のムクロジ天然記念物本宿2丁目37番地 多聞寺  〃 16年3月
(3)市指定文化財
名  称種  別所  在  地分布図 No.指定年月日
慈恵大師画像絵  画本町7丁目126番地 真福專昭和53.3
銅造阿弥陀如来坐像彫  刻大字石戸宿1,454番地 東光寺   〃
木造阿弥陀如来立像彫  刻深井4丁目55番地 寿命院  〃
木造観音坐像彫  刻大字荒井1,231番地 観音堂  〃
真福寺仁王像彫  刻本町7 丁目126番地 真福寺  54.3
木造薬師三尊像彫  刻深井5丁目11番地 薬師堂  55.3
寿命院朱印状古 文 書深井4 丁目55番地 寿命院  53.3
矢部家文雷古 文 書大字荒井1,246番地   〃
岡野家文書古 文 書本宿1丁目13番地   〃
元禄十年古地図古 文 書本町1丁目111番地 市教委  54.3
大島家文書古 文 書大字宮内847番地   55.3
宮岡氷川神社前遺跡出土品考古資料本町1丁目111番地 市敎委  53.3
城中遺跡出土石皿考古資料本町1丁目111番地 市教委  〃
上手遺跡出土品考古資料本町1丁目111番地 市教委  〃
中井1号古墳出土人物埴輸考古資料本町1丁目111番地 市教委  〃
東光寺板石塔婆群歴史資料大字石戸宿1,454番地 東光寺   〃
道標「大師道」歴史資料本町8丁目15番地   〃
道標「これより石と舟とミち」歴史資料大字高尾1,102番地   〃
寿命院板石塔婆(建長三年銘)歴史資料深井4丁目55番地 寿命院  54.3
寿命院板石塔婆(建治二年銘)歴史資料深井4丁目55番地 寿命院  〃
庚申塔(兼道標)有形の民俗文化財大字宮内835番地   〃
供養塔(兼道標)有形の民俗文化財大字石戸宿352番地   〃
猿田彦太神有形の民俗文化財大字北中丸340番地   〃
山王神社御神体他石刻猿一括有形の民俗文化財大字荒井1,974番地   〃
石刻絵馬「菅原道真」有形の民俗文化財大字石戸宿616番地 天神社  〃
観音堂大絵馬有形の民俗文化財大字荒井1,231番地 観音堂  〃
算  額有形の民俗文化財本宿2丁目7番地 天神社  〃
祖師堂絵馬群有形の民俗文化財大字山中203番地 祖師堂  〃
天 神 社 幟有形の民俗文化財大字石戸宿616番地 天神社  54.3
天神社ささら獅子舞無形の民俗文化財大字石戸宿616番地 天神社  〃
ム  ク天然記念物大字石戸宿616番地 天神社  54.3
エドヒガンザクラ天然記念物大字高尾216番地   〃
ドウダンツツジ天然記念物大字石戸宿700番地   54.3

(平成元年4月1日現在)
(『北本の文化財』より引用)


図35 指定文化財分布

(『北本の文化財』より引用)

戦後の文化財保護は予算が乏(とぼ)しい中で行われてきたが、昭和二十五年五月、文化財保護法の制定により、本格的な文化財保護行政が開始された。同法制定の直接的なきっかけとなったのは、前年一月に、世界最古の木造建造物であった法隆寺金堂(ほうりゅうじこんどう)が焼失するという事件であったが、保護法の制定によって保護される文化財が拡大され、保護行政の充実を生み、保護に関する従来の法体系の統一が行われることとなった。また、文化財という言葉も広がり、文化財保護に対する意識が強化された。
埼玉県は、文化財保護法にもとづいて昭和二十七年七月文化財保護条例を制定し、文化財範囲の拡大、補助金制度の確立など積極的な保護を加えることとし、さつそく翌二十八年には、吉見町安楽寺(あんらくじ)三重塔(さんじゅうのとう)を県指定文化財第一号に指定した。
北本では昭和三十二年に北本宿村文化財保護条例を制定し文化財本格的な文化財保護行政が開始された。

写真75 天神社のささら獅子舞

昭和56年 石戸宿

写真76 観音堂の大絵馬

江戸時代後期 荒井

蒲桜(かばざくら)はすでに大正時代に国から文化財に指定されていたことは、本書近代編第三章第四節にあるとおりである。石戸宿東光寺(とうこうじ)の板石塔婆(いたいしとうば)は、貞永(じょうえい)二年(一二三三)の銘があり、全国でも第四位の歴史を誇る貴重な文化財であり、昭和四十年三月、県から文化財「考古資料」に指定された。
高度経済成長は北本にも都市化現象をもたらしたが、反面、文化財の保護を怠ると貴重な文化遺産が散逸(さんいつ)し、消滅するという危険も生じた。そのため市では、昭和五十三年、五十四年、五十五年の三度にわたり文化財を指定し保護に努めた。指定された文化財も、絵画・彫刻、古文書、考古資料、歴史資料、有形民俗文化財、無形民俗文化財、天然記念物など多岐(たき)にわたった。また、指定されている文化財の分布は図35のように市内全域にわたっている。これらは、住宅建設が積極的に行われている地域やその周囲にあたる地域でもあり、今後の文化財保護がますます重要となっている。

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