北本市史 資料編 自然

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第2章 北本の地質

第1節 洪積世の地層

揚水利用の目的のために調査された深井戸ボ—リング資料は、北本の地下深い地層の様子を詳細に知らせてくれる(第一章図8・ 9参照)。これを見ると海面下三〇〇メ ートルからー〇〇メートルの間に、層厚二〇メ ートルを超すものから数メートルのものまで五〜七回の砂礫層の堆積を認めることができる。しかもこの砂礫層間には粘土層やシルト層・砂層が不連続に堆積する事実も確認できることから、北本の洪積台地形成以前の過去数万年よりもはるかに古い地質時代には、北本の地下深くには大河川が流下し、激しい侵食と砂礫の堆積がたびたび行われたこと、また突然この環境が変化して粘土やシルト層を静かに堆積する海湾底や、低湿地状の水成環境が形成されたことなど、めまぐるしい堆積環境の変化を推察することができる。
海面下ー〇〇メートルから五〇メ ートル付近には、青灰色粘土層、貝殻を含む砂質粘土層、砂層、砂・粘土互層の堆植が著しく、砂礫層の堆積はほとんど見られない。このことは、それ以前の変化の激しかった堆積環境がようやく安定に向かい、時間的な長・短を無視すれば、砂層と粘土層がほぼ順に繰り返し堆積した比較的穏やかな堆積環境が存在したことを示唆するものと理解できる。おそらく、当時の堆積環境は、粘土層の厚い堆積を容易にした浅海(海湾)と砂層を堆積する三角洲的な条件が共存したもので(河口付近の堆植環境)、海面の上昇と下降、三角洲の成長と後退とが何度も繰り返されてきた過去を推定することができる。
海面下四〇メートルから二五メートル、同一〇メートルから海抜ー〇メートル付近にも砂礫層が堆積している。これらの砂礫層の存在が、地表の地形をほぼ決定し、一般的にいって、台地地下に厚い砂礫層の堆積する所は地表が凹地状の低い地形となっている(第一章図8・ 9参照)。
図8・ 9で明らかなように、ローム層下に堆積する東京層の砂や粘土・シルト層が、ローム層堆積以前に河川の侵食作用によって削られ、谷地形が地下に存在する所は地表の谷も深く、河川の侵食をまぬがれてきた残丘状の小高い地域には古いローム層(下末吉ローム層)の堆積が認められる。海面下五〇メートルまでの地質は、北本市域の地形と実によく対応している。
森川(ー九七〇)は埼玉県東部の洪積層を、深井戸ボーリング資料から解析し、ローム台地に近い順に東京層・埼玉層・古利根層と区分した。これに従えば、北本のローム台地下の青灰色粘土層、青色・褐色砂層に続く五~ー〇メートルの厚さの砂礫層までが東京層に該当し、下末吉層に対比され、この上位の台地面が下末吉面ということになる。
東京層下部には埼玉層と古利根層が堆積していると考えられ、桶川付近では地下五〇メ—トルから九〇メートルの粘土やシルトを中心とする層を埼玉層の中・下部に、地下ーハ〇メートル以深を古利根層にあたると区分している(桶川市史・一九七九)。
北本の深井戸ボーリング資料から、森川による区分を試みたが、今後なお一層慎重に検討する必要があると考えている(第一章図8 - 9参照)。

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