北本市史 資料編 自然

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第2章 北本の地質

第2節 沖積層の発達

北本の沖積低地は、東部の赤堀川に沿う地域と、荒川左岸の低地、西側台地を開析する樹枝状の複雑な開析谷とに限られている。このうち、北本西部の開析谷の沖積層の発達過程については、ハンドオーガ—ボーリングによる調査(第一章図11№1〜31参照)の検討から次のように推論した。
洪積台地形成後の洪積世末期頃から進んだ侵食・開析作用により、北本西部の台地上には狭長で複雑な樹枝状の開析谷が形成され、この小盆状の湿地には周辺台地から粘土・シルト・砂層等が比較的穏やかに流入堆積して現在の開析谷の沖積層が発達した。
開析谷底に堆積した粘土・シルト・砂層等の層厚は数メートルと薄いが、谷底の各地に良好に発達する泥炭眉の発達は、開析谷中に沖積層が堆積する過程において、湿地的環境が相当期間続いたことを物語っている。
一方、赤堀川流域の沖積低地は、洪積世末期から沖積世初め頃、武蔵野台地の一部が侵食を受け、そこに一時河川から砂礫の堆積が行われた。縄文海進以後には粘土層や泥炭層が静かに堆積するような湿地的環境に変わるが、それ以来この状態が長期間継続し、沖積層が発達したと考えられている(後谷遺跡・一九七九)。この一連の形成過程は、赤堀川の谷に位置する北本市立学校給食センターのボーリング資料(第一章図10参照)でも明らかで、赤堀川の低地は洪積台地を浅く侵食した谷に泥炭層・シルト層・粘土層等の沖積層が、沼沢地等の湿地的環境下に静かに堆積した沖積低地であることが推察される。

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