北本市史 資料編 自然

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第5章 北本の水

第2節 地下水

2 地下水利用の状況

地下水利用の歴史的経緯
地下水は古い時代から我々の水資源として親しまれ利用されてきた。その利用形態は最初の湧水利用から井戸による利用へと移り変ってきた。わが国で初めて井戸の掘られた時期は、弥生時代初期にさかのぼるといわれる。その後、新たな井戸掘り技術が生み出されることによって、その利用も急速に高まった。特に江戸時代に入ってからは、地下水位の深い台地などでも井戸の掘れる技術が開発(たとえば、「関東の三井戸」と称される東京都の五ノ神井戸<まいまいず井戸とも呼ばれる>、埼玉県の入間井戸、入曽井戸<いずれも堀兼井とも呼ばれる>が有名である)されたり、「上総掘り」と呼ばれる掘り抜きの技術工法も生み出された。明治時代以降、地下水の揚水方法はつるべ式から手押しポンプへ、大正時代以降は動力ポンプの時代へと移り変ってきた。さらにさく井技術の進歩・普及によって、深層部から大量の被圧地下水を揚水することが可能となり、工業用水としての利用度は益々高まっていった。昭和時代の十年前後には地下水利用の最盛期をむかえるが、第二次世界大戦中および戦後の混乱期には、工業生産活動の停滞によって地下水利用も著しく減少した。しかし、大戦後の特に昭和三十年代、いわゆる経済の高度成長期に入ると、産業活動が回復・活発化するとともに、水中モーターポンプの性能向上と普及が相まって、地下水の揚水量は加速度的に増加した。
こうした状況下で、大都市域を中心に地下水利用に伴う各種の障害-地下水位の低下・井戸枯れによる取水障害、地盤沈下、海水が地下水に混入する塩水化現象など-が顕著なかたちで発生して深刻な社会問題へ発展した(図19)。

図19 被圧地下水の水位経年変化

(埼玉県地盤沈下報告書、1988年より作成)
被圧地下水位観測井の諸元は次の通りである。
所在地:北本市北中丸 611—3
管頭高:標高20.12m、地盤高:標高19.60m、
口径:350m、深度:300.0m、ストレーナ深度:185~195、208~216、264~280m、
水位計型式:フロート式。

その対策として、各地で地下水採取の法的な規制措置が講じられ、大都市域をはじめとして地下水利用は抑制・減少傾向となってきた。ところが地下水利用は大都市周辺地域へ拡大・スプロール化するとともに、都市域から農村域へ波及していった。
こうした経緯は埼玉県の場合にも大略あてはまる。埼玉県の平野部は元来地下水に恵まれたところで、早くから水資源を地下水に頼ってきた。特に県南においての地下水利用は顕著で、昭和三十年代から急増して、それに伴い地盤沈下などの障害が生じてきた。その後、都市化、工業化の進展に対応するかたちで県南平野部から県央平野部へと地下水利用の北上化がみられた。しかし、一方では表流水への水源転换、法律や県条例に基づく揚水規制などが行われた結果、県南の指定地域では地下水利用が抑制され、地盤沈下現象も沈静化してきた。ところが新たな地域において、地下水利用に伴う地盤沈下現象などが発生する傾向も認められるようになってきた。
北本市域での地盤沈下現象は、県南平野部や中川低地などのように著しい状況まで至っていないが、その現象は若干認められる。したがって、今後の地下水利用においては十分な管理のもとで最適かつ有効な揚水計画を樹立していくことが重要となる。

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