北本市史 資料編 原始

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第1章 北本の遺跡概観

第1節 北本における考古学史

1 江戸時代における研究

北本地方の遺跡に対する考古学的な調査研究は、すでに江戸時代に行われている。それらの記録は地誌類に掲載されて公刊されている。たとえば、現鴻巣市大間の人、福島東雄が享和二年よりも前に著わしたと伝えられる『武蔵志』には、「古市場古塁」や「石戸天神山古城」(石戸城のこと)、「蒲冠者範頼之牌」(東光寺境内の石塔婆のこと)などが掲載されている。また、文化九年~文政十一年(一八一ニ~一八二八)に津田大浄によって書かれた『遊歴雑記』(ゆうれきざっき)には、東光寺中の範頼の墓について詳細に記されている。
『新編武蔵風土記稿』は、幕府官撰の武蔵一国地誌として、広く親しまれて歴史研究に引用されているが、石戸宿村の条に、「阿弥陀堂」(堀ノ内館跡)、「城蹟」(石戸城蹟城跡)、深井村の条には「堀之内」(対馬(つしま)屋敷)などを取り上げ、遺跡の状況や所在遣物の説明、居館者伝承などを記載している。
江戸後期の読本の大作家、滝沢馬琴の『玄同放言』(歴史紀行文)の中に、渡辺華山が蒲桜(かばざくら)と範頼(のりより)の墓・塔婆(とうば)などについて、極めて客観的な観察記を寄せている。
これらは、モースらによって開始された日本の近代考古学以前の考古学的記述として、学史的にみても重要な記録であるといえよう。
なお、これらの遺跡は、みな中世に属する時代であるので、古代・中世編の方に収録しているので、そちらの方で御覧いただきたい。

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