北本市史 資料編 原始

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第1章 北本の遺跡概観

第1節 北本における考古学史

3 大正~昭和前半における研究

大正年間から昭和十年代にかけては、東京の考古学研究者や、埼玉縣史編纂委員会および埼玉県郷土文化会などによって、調査がたびたび行われた。それらの調査成果は、昭和二十六年に刊行された『埼玉縣史』第一巻に収録された。それによれば、石器時代の遺跡としては、前掲の石器時代人民造物発見地名表に掲載された五遺跡を転載しただけであるが、古墳時代の遺跡としては、つぎのように三遺跡
が列挙された。
 中丸村宮内   古墳
 石戸村石戸宿堀ノ内・太郎塚  円墳
 同 荒井・八重塚   円墳
このうち一番目の宮内の古墳については、平成元年現在、確認できない。
昭和三十年代になると、戦後の混乱した社会も安定に向かい、文化財保護の行政的な体制もようやく整いはじめた。そんな中で、昭和三十五年八月、関東東山農業試験場内で行われた八重塚一号墳の発掘は、北本における最初の発掘調査であった。この調査は、埼玉県立浦和第一女子高等学校社会クラブによって、柳田敏司氏の指導のもとに行われた。
昭和三十六・三十七両年度に、埼玉県教育委員会は埼玉県下一円にわたって遺跡分布緊急調査を実施し、『埼玉県遺跡地名表(埋蔵文化財包蔵地一覧)』を刊行した。この地名表には、残念ながら北本関係の遺跡はつぎの一か所しか搭載されなかった。
八重塚古墳群 北本町荒井 山林 古墳群 刀子、土師器片・須恵器片 一〇基、昭35浦一女発掘
昭和三十九年になると、県教育委員会では県下の古墳所在緊急調査の一環として、北足立地区の古墳の悉皆(しつかい)調査を実施した。この調査結果は、『古墳調査報告書』第七編にまとめられ、北本関係では八重塚古墳群の四基が収録された。
この年の三月、高尾地区の荒川河川敷において発見された二隻(せき)の古代独木舟(まるきぶね)については、慶応大学の清水潤三教授によって調査された。

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