北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

横田薬師堂北遺跡 (石戸宿八丁目他)
遺跡は、荒川の谷に直に面して位置している。遺跡の東南端に三角点があり、標高は二七メートルである。台地直下の標高は一五メートルであり、比高差は一二メートル弱あり、しかも急崖をなしている。遺跡の広がりは東西一八〇メ —トル、南北三八〇メートルであるが、東側は市場Ⅱ遺跡であり、範囲は定かではない。縄文時代早期より後期の複合遺跡である。
採集遺物は土器のみで、前期前半に中心がある。

図91 横田薬師堂北遺跡位置図

図92 横田薬師堂北遺跡出土遺物拓影図

図92の1・2は早期の野島式である。1は胎土に繊維を含んでいる。厚さ七ミリと薄手である。器面に条痕文を施文している。2は胎土に少量の繊維を含み、焼成も良く、しっかりした土器である。破片の上下の断面を見ると、輪積痕から剝がれたことが看取される。破片の上下幅は四センチ、一回分の輪積部分である。内外面に条痕文を施文しているが、外面の方が乱雑な施文である。
3~12は前期の関山式である。いずれも胎土に繊維を含んでいる。微細な浮石粒、径一ミリ前後の石英粒を微量に含んでいる。3は口縁部文様帯下端から胴部縄文帯にかけての破片である。口縁部文様帯は半截(はんさい)竹管により、主幹文様を描出しており、多截竹管による爪形文を梯子状に入れている。瘤状貼付文を付加している。口縁部文様帯下端は、刺突列で縄文帯と区切っている。縄文帯はループ縄文のループ部分のみを多段施文している。縄文の原体はRLとLRで両方とも〇段多条である。4は半截竹管で管内痕を残しながら主幹文様を描いている。口縁部文様帯の区画はない。桐部縄文帯は〇段多条のRLとLRを用いて、ループの多段施文と足を長くしたループ付き縄文で羽状に施文している。胎土の繊維量は多くなく、薄手で整形も丁寧な作りである。5・6は縄文だけの破片で、〇段多条のRLとLRを用い、ループを数段と上下左右に羽状を呈するように施文している。7・8は正反の合である。7は直前段反撚りの左右撚り二本を用い羽状に施文している。9は異節縄文である。小片で施文痕が明瞭でなく定かではないが、組紐手法による組み違い異節であろう。10・11は組紐縄文である。原体は10がRRLL、11が〇段多条のRRRRである。12は底部片。底面はあげ底になっている。器面が荒れ定かではないが、施文しているのは単節縄文らしい。
13・14は中期の加曽利(かそり)E式である。13は沈線による懸垂文と地文の撚糸Lを施文している。微細であるが砂粒が多く、ザラザラした胎土である。14は沈線による懸垂文間を磨消している。縄文はLRである。
18・20~25は後期の称名(しょうみょう)寺式である。19には刺突文を施文しているが、他は沈線文のみである。25は底部片。へラ削りのみの無文である。器面は滑らかに仕上げている。
15~17・21~24は後期の堀之内式である。15~17は地文に縄文を施文し、沈線で文様を入れている。23の地文はLRの縄文で、細い沈線で囲み、磨消縄文としている。23は堀之内Ⅱ式、他は堀之内I式である

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