北本市史 資料編 原始
第2章 遺跡の概要
第1節 荒川沿岸の遺跡
諏訪山北遺跡 (大字荒井字八重塚)北・西・南側と三方を小支谷に囲まれ、北西に向けて突き出した台地の、北側の支谷を見下ろす台地上に位置している。標高は二六メートル台。支谷との比高差は北側の小支谷とで九メートル、西側の支谷とで一二メートルである。この舌状台地の幅は五五〇メートルと幅の広い台地で、南東二五〇メートルに諏訪山南遣跡があり、台地の基部が堀ノ内館跡である。また、北側の小支谷をはさんで、八重塚古墳群と対峙している。
遺跡の広がりは長径二五〇メートル、短径一八〇メートルであるが、遺物の散布は希薄である。
図123 諏訪山北遺跡位置図
トレンチに竪穴住居址の東壁がかかり、北東コーナーのみを小さく試掘したもので、遺構の詳細は不明である。床面から木炭と土器1~3がまとまって出土した。
図124の1は大形の壺である。口径は一四・五センチ、現存高二二・五センチ、胴部径二四・四センチである。地の色調は淡黄褐色を呈しているが、口縁、口縁部内面、肩部以下を赤彩しており、よく残っている部分もある。またススにより肩部以下の半面は黒色を呈している。胎土に砂粒を多く含む他、石粒も含んでおり、大きなものは径五ミリに達している。口縁は複合口縁で、胴部の最大径は中位にある。複合口縁部は横位にハケ整形し、以下頸部までを斜位にハケ整形している。胴部は斜方向にハケ整形した後、縦方向にへラ磨きしている。所々に小さくハケ目痕が残っている。口縁部内側は横位のへラ磨きであり、胴内面にはへラ削り痕がある。口唇はわずかに外そぎとなっている。口縁部には端部に結節のある無節の縄文を施こしている。縄文原体はRで、末端の結節はひとえ結びである。複合口縁の上端と下端に結節部分がくるように施文している。口縁の五か所に、縦の沈線を入れている。この沈線は五本の部分が二か所、六本の部分が二か所、残る一か所は八本である。口縁部の縄文と同一原体を用い頸部直下から肩部にかけての幅五センチに施文している。結節部分を頸部中間と最下端にくるように施文している。しかる後に赤彩を施している。赤彩は口縁部と胴部で、縄文帯中間の結節の上に四か所、円形朱文を入れている。円形朱文は一か所に三個ずつである。
図124 諏訪山北遺跡出土土器実測図(1)
図125 諏訪山北遺跡出土土器実測図(2)
図124の2は台付甕である。口縁部を欠いている。地の色調は茶褐色〜褐色で、ススで真黒な部分がある。胎土に砂粒を含んでいる。現存高は二三・三センチ、胴部最大幅二〇・四センチ。台部底径一〇・八~一〇・二センチである。台部は上端を平らにして体部と接合している。全面にハケ整形である。台部内側もハケ整形である。胴部内面は中位から下半がへラ磨き、上半がナデである。胴中位に部分的に接合面が残っている所や、その接合面の延長上で割れた部分があり、胴下半を整形後上半を作り足していったことが知れる。
1~3の出土状態は、1が伏せてあり、その上に3が内面を上にして、蓋状に乗っていた。すぐ横に接して2が直立していた。1・3ともに傾いていたが、埋没前は真すぐ立っていたのではなかろうか。
写真75 諏訪山北遺跡遺物出土状態