北本市史 資料編 原始

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 原始

第2章 遺跡の概要

第2節 江川流域の遺跡

東谷足Ⅱ遺跡 (西高尾四・五丁目)
この遺跡は、前記の東谷足Ⅰ遺跡の北側に近接しており、地形的にも同じような条件の所にある。江川の左岸側の谷底近くに立地し、標高は二三~二五メートルあり、江川の河床よりも一・五〜二・〇メートル高い。現状は宅地・畑・水田とから成り、市街化が進行している。
遺物の散布範囲は、南北約一〇〇メートル×東西七五メートルに及び、散布量は多くはない。
遺跡は、江川の浸食谷の斜面に営まれた縄文時代と弥生時代の集落跡で、昭和四十六年の分布調査によって、図151に示したような土器片が採集されている。
1は、縄文文様のなかに「逆S字」文をたてに施したもので、縄文中期の下小野式と分類される土器である。
2は、低い隆起文に爪形文を施したもので、同じく中期の加曾利(かそり)式(勝坂式と同時期)に分類される土器であろう。
3・4も、同じく中期の加曽利E式に分類される土器である。
5は、布目状の圧痕に見えるが、細撚りの縄文文様であり、弥生時代後期の弥生町式に分類される土器である。
これらのほか、縄文時代前期の土器片もある。
散布遺物から見ても、この遺跡の主体は縄文時代中期にあるようであり、この時期には南接する東谷足Ⅰ遺跡や、江川の対岸に立地する東谷足Ⅲ遺跡と同一の集落群を構成したことも考えられる。
弥生町式上器の出土は、この谷の低湿地では弥生時代後期になると、稲作が普及してきたことを暗示させる。

図150 東谷足Ⅱ遺跡位置図

図151 東谷足Ⅱ遺跡出土遺物拓影図

写真85 東谷足Ⅱ遺跡現状

<< 前のページに戻る