北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

古墳時代
石戸城跡で住居址一軒、八重塚遺跡B区では五領(ごりょう)期三軒、和泉(いずみ)期一軒からなる集落跡を調査している。石戸城跡では、特殊器台(きだい)など広域に斉一性をもった土器に混じって、ローカルな土器が出土している。八重塚遺跡B区は、A区からの移住かもしれない。三号住居址からは一軒で使用した土器がそっくり出土している他、滑石(かっせき)製模造品(もぞうひん)や鉄片、臼玉(うすだま)が出土、祭祀等についてもうかがうことができる。
古墳 古墳は、北から南へ北袋古墳群・中井古墳群・阿弥陀堂遺跡・八重塚古墳群・諏訪山南一号墳と続いている。広域的には鴻巣市から川口市へと、大宮台地西縁に連続するたくさんの古墳群の一角を形成しているのである。微視的には、北袋古墳群・中井古墳群・阿弥陀堂遺跡は約一キロの距離の中に存在し、”北の古墳群”を形成している。”北の古墳群”は荒川を直接に望む台地上に位置し、かつ埴輪を有している。約一・七キロの無古墳地帯を介在させて八重塚古墳群・諏訪山南一号墳が”南の古墳群”を形成している。”南の古墳群”は、荒川より少し奥に入った小支谷を見下ろす台地上に位置し、埴輪を持っていない。七世紀終末になると、古墳の造営地が南へ、かつ小支谷の奥へ移動しているのである。
墳丘の盛り土はいずれも低く、開発によるものか、自然流失か不明である。石室はすべて砂質凝灰岩(ぎょうかいがん)の切石積横穴式石室(きりいしづみよこあなしきせきしつ)である。”北の古墳群”は埴輪が多く、特に形象(けいしょう)埴輪が多いのが特徴である。北袋古墳群が造営された台地とは小支谷をへだてた対岸に、馬室埴輪窯跡群がある。今のところ埴輪供給窯とは断定できないが、直線距離にしてわずか四〇〇メ —トルに位置している窯跡であり、詳細な比較が必要である。諏訪山南一号墳では、須恵器の長頸壺(ちょうけいつぼ)が副葬されていた。

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