北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第3節 赤堀川流域の遺跡

中上手I遺跡 (朝日二丁目)
この遺跡は、常光別所地区の中央部の高所に位置している。標高は一六メ—トルで、東側に赤堀川が形成した浅い支谷を見おろす比高三〜四メートルの台地縁の微高地に占地している。遺物の散布範囲は南北に長く、六〇×一五〇メートルにわたっている。現状は畑地となっている。
散布している遺物は縄文土器・弥生土器・土師器(はじき)の破片がある。散布密度は希薄であるが、地形の立地条件は良好であるので、縄文時代から平安時代にかけての集落跡が複合して存在しているものと考えられる。
図250は、中上手I遺跡から採集された土器の拓本である。1は弥生時代後期の破片であろう。2は平安時代の坏(つき)または皿の底部の破片で、製作はロクロから切り離す際の糸切痕(あと)がついている。
この遺跡の南東方約一〇〇メートルには、足立遠元のことを書き記した縁起をもつ無量寿院がある。場合によっては、この遺跡は当寺院付近にまでひろがっている可能性もある。

図249 中上手Ⅰ遺跡位置図

図250 中上手Ⅰ遺跡出土遺物拓影図

写真121 中上手Ⅰ遺跡現状

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