北本市史 資料編 原始

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 原始

第2章 遺跡の概要

第3節 赤堀川流域の遺跡

堀込Ⅱ遺跡 (朝日二丁目)
この遺跡は、前記の堀込I遺跡の東方約一〇〇メートルに、南北に長く広がっている。その範囲は南北二〇〇×東西七〇メートルである。標高は約一六メートルで、地表面は、東から西に向かってわずかに傾斜している。
遺跡の東側は、現在は水田であるが、かっては鲤沼・篠津沼があるという一大低湿地であった。この低地は赤堀川が流れる浸食谷で遺跡面よりも六メートルも低い。現状は、平地林・宅地・墓地となっている。
図256は、この遺跡から採集された土器の破片であり、1は縄文時代中期の加曽利(かそり)EⅡ式で、隆起文と細かい縄文が施されている。2は太くて短い縄文を多方向に転がし、隆起文と広い磨(す)り消し部をもった加曽利(かそり)EⅢ式である。3もそのころの土器であろう。縄文土器にはこのほか晩期の小破片もある。いっぽう、4は平安時代の土師器(はじき)の坏(つき)の底部で、糸切痕をもつ。型式は国分(こくぶ)式と分類される土器であろう。
この遺跡は、東側に低地を控え、食糧となる魚類や鳥類にも恵まれた好環境にあるため、多数の住居址などを埋蔵していると考えられる。とくに縄文時代中期は集落が栄えたものと推察される。平安時代においても、集落が形成されたものと推察され、この当時になると東側の低地も少しずつ水田化されていったものと想像される。
この遺跡は、東部の遺跡群のなかでは珍しく、周辺の地形が高低差に富んでいる。この台地縁には連続して遺跡が点在しているようである。

図255 堀込Ⅱ遺跡位置図

図256 堀込Ⅱ遺跡出土遺物拓影図

写真124 堀込Ⅱ遺跡現状

<< 前のページに戻る