北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第3節 赤堀川流域の遺跡

原遺跡 (朝日四丁目)
この遺跡は、北本市内で最も東部に所在し、花ノ木地区の花ノ木公会堂や光蔵寺の北側にひろがっている。前記の堀込遺跡の南側に隣接し、遺跡の範囲は南北二〇〇×東西一二〇メートルにおよんでいる。
地形的には大宮台地の東縁に位置し、標高は一五〜一六メートルである。東側は前記遺跡と同じように、比高五メートルも低い赤堀川が流れる低地に臨んでいる。西側は中心部よりもいくぶん低い。
散布している遺物は、縄文時代の各時期の土器をはじめ、中世の陶器類の破片である。図238は、分布調査中に採集された土器片の拓本である。1~4・6は縄文時代中期の深鉢形土器の破片で、1~3は沈線文と縄文が施され、4は太い縄文が上から下に向かって転がされている。6は条線文が深く刻まれている。これらの文様は加曽利(かそり)EⅢ式に分類される。
5・7・8は縄文時代後期の深鉢形土器の破片である。8は後期の初めころの称名寺(しょうみょうじ)式土器の口縁部で、太い沈線、細かい縄文及び磨(す)り消し手法に特徴がある。5~7は弧状の太い沈線文と点刻文が施されているので、後期前葉の堀之内(ほりのうち)式土器であろう。
9・10は中世陶器の壺の破片と考えられ、鎌倉時代ころの製作であろう。表面にはロクロ回転のすじが見える。
この遺跡は、台地縁の地形が南側に張り出すつけ根に所在するので、好立地といえよう。桶川市の後谷(うしろや)遺跡はこの張り出す半島状台地の先端部に位置し、原遺跡から南東へ約三〇〇メートルの距離にある。
遺跡の性格は、縄文時代、歴史時代の複合する集落跡で、かなり大きな規模に展開すると思われる。

図257 原遺跡位置図

図258 原遺跡出土遺物拓影図

写真125 原遺跡現状

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