北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

北袋古墳群Ⅰ (大字高尾字中井・大字荒井字北袋)
東側から北側へまわり込んで逆従の谷が入り、西側は荒川の谷で削られ、東西幅二五〇メートル、南北一キロにわたり北方に突出した舌状台地先端部から西側縁辺に古墳群は占地している。最高位置で標高三一・二メートルである。東側の台地直下沖積面でおよそ十五・五メートル、比高差十五・七メ —トルである。西側の谷は一〇メートル前後で比高差二〇メートル前後である。大宮台地で最も高い地域であり、沖積面との比高差も大きく、崖面は急崖をなしている。
昭和四十四年の分布調査では、前方後円墳一基と既に破壊されていた一基を含む円墳三基の都合四基が確認されていた。その後の土取り工事により消滅した。前方後円墳の後円部墳丘の一部が残っている可能性があるが、墳丘高が低く、外観からは定かではない。古くに破壊された円墳は斜面部に所在したもので、石室材と推定する緑泥片岩(りょくでいへんがん)は、地蔵堂北西部の畑中にある石神を祀った石祠(いしぼこら)の基段として、また島田竹次氏宅では井戸の蓋石として使われている。
遺物は古墳に伴うのは先の石材の他、わずかな埴輪片だけで、縄文土器が多く、前〜後期が複合している。

図1 北袋古墳群Ⅰ位置図

第一群土器 縄文時代前期の土器。
図2の1〜3は花積(はなづみ)下層式である。いずれも胎土に繊維を含有している。1は口縁部片で、口唇部は平らで外側に張り出し、口唇外端に細い隆帯を作りだしている。単節縄文LRが横走に近く施文されている。裏面に浅い条痕が横走している。2は横走する突帯の上に刺突を入れ、突帯下部にも刻みを入れている。突帯より下方は羽状縄文を施文している。縄文は0段多条の単節縄文RL(撚り合わせてつくる縄文原体を記号で表記したもの)とLRである。3は薄手で外面が黒褐色、内面が淡い茶褐色を呈している。単節の縄文を横走施文している。4は浮島(うきしま)式である。貝殻腹縁(ふくえん)を鋸歯(きょし)状に施文している。5〜7は諸磯式である。5は底部際の破片で地文の縄文の上に半截竹管(はんさいちくかん)による沈線を横位に施文している。6も底部際片である。浮線文上に細いキザミを施している。7は無節縄文Rを施文し、竹管による櫛歯状沈線を横位に施文している。胎土に石粒を多く含んでいる。8は半截竹管による平行沈線を鋸歯状に施文している。胎土に絹雲母片岩(きぬうんもへんがん)や石英粒を多く含んでいる。赤〜淡褐色を呈し、十三菩提(じゅうさんぼだい)式である。

図2 北袋古墳群Ⅰ出土遺物拓影図(1)

写真1 石祠下の石室材

写真2 井戸の蓋石に利用された石室材


第二群土器 縄文時代中期の土器
9・10は阿玉台(あたまだい)式である。いずれも胎土に雲母片を含有している。9は口縁部片で、半截竹管による刺突列の間に波状文を入れている。口縁部内側に低い稜(りょう)をもつ。10は垂下する隆起帯とその両側に爪形文をいれている。
11〜19は勝坂(かつさか)式である。11は刺突文(しとつもん)が入っている。12は筒形を呈する深鉢。口唇部内側が肥厚している。口縁部に無文帯をおき、その下に隆帯で小判形に囲み、内部に沈線を縦位に密に施文している。13は口縁が内湾し内側が肥厚する深鉢。えぐり込みの深い沈線で文様が入っている。14は沈線で文様が描かれ、上端にはキザミを密に入れている。15は隆起帯と爪形文、刺突文を施文している。胎土にわずかに雲母を含むほか、微細な石粒を多く含みガサツな胎土である。16はキザミを有する隆起帯と沈線により文様を描出している。17はキザミのある隆起帯が垂下し、沈線による渦巻き文等を入れている。18は底部近くで、縄文を縦位施文している。縄文の残存範囲が狭く確定できないが、0段多条のようである。19は底部片。鋭いへラによる深い沈線とキザミ等により施文している。
図2・3の20〜40は加曽利(かそり)E式である。20〜23はキャリパー形の甕形土器。20は隆起帯による渦巻きであろう。内部に沈線を縦位に施文している。21はRの撚糸(よりいと)文を横位に施文している。22は口縁が湾曲をもって開く甕である。へラによる深い条線と細く浅い条線を交互に、施文している。23は口唇部が剝落している。隆起帯を横位にめぐらし、RLの単節縄文を施文した後、隆起帯直下に太い沈線を入れている。24は浅鉢形土器。断面三角形に近い隆起帯の直下に細い沈線が伴う。下端にも同様の隆起帯が右あがりに残っている。端部で渦巻くであろう。縄文は太い節のRLである。25〜40は胴部片。25・26は隆帯とRLの縄文を使い施文している。27〜29は隆帯と撚糸文により施文している。29の隆帯は低い。撚糸文原体はすべてLである。30はRの撚糸文を縦位に施文している。31・33・37〜40は沈線と縄文により施文している。31は沈線の交点に円形刺突を加えている。地文の式の模写である。縄文は33・37がLR、38・40がRLで、39が複節のLRLである。34・35は縄文だけの破片で、34はLR、35は複節RLRである。32は横走する沈線のみ、微細な石粒を多く含有している。
第三群土器 縄文時代後期の土器。
図3の41・42は称名寺(しょうみょうじ)式である。41は太い沈線に囲まれた磨消縄文帯が弧を描いている。縄文はLRで条は細い。42は沈線を縦位に施文している。
埴輪
図3の43〜45は円筒埴輪片である。44には透孔(すかしこう)の切り込みの一部が残っている。

図3 北袋古墳群Ⅰ出土遺物拓影図(2)

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