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第11章 伝説・世間話・昔話・諺

第1節 伝説

39 正月十四日まで餅つきをしない家
      下石戸上
S家では、大正十年ころまで、正月の餅をつかなかった。それは、昔、本家の先祖が長野県から移り住んで来たころ、正月の餅をついていたところ、こじきが来たので、縁起でもないということで、門松を抜いてなぐり殺してしまった。それ以来、正月の餅はつかないことにし、門松も立てないことにしたという。その後分家した当家も、永らくこの家例に従ってきたのである。一月十四日になってはじめて餅をつき、神様にもあげた。これを「隠し餅」という。このように正月を迎えるために餅をつくことは禁じられていたが、食べることじたいはよかった。当家には、桶川市の市場に親戚があり、正月にはその家で餅をついてもらって食べていた。現在は、正月の餅は暮れにつくが、十四日にもまた餅をついている。
なお、本家では、一月一日に餅つきをした、と言う。やはりこのことを「隠し餅」といった。昭和三十六年に当主の祖父がなくなったが、そのころからは暮れのうちにつくようになった。また、西隣にも分家があるが、このいえには、餅は正月一日または十四日になってからつくものだ、という伝承はない。

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