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第11章 伝説・世間話・昔話・諺

第1節 伝説

41 おたきあげ
七月一日は、浅間神社の初山で、朝食には小麦饅頭を作り、各家のケードでは小麦がら(コムギガラ)を燃す。これを「おたきあげ」と言い、さまざまな言い伝えがある。
a 七月一日の朝、高尾ではケイド(宅地の入口の道)にて、新しい小麦からにて火を燃した。この理由は、俵藤太がオロチ退治に行ったとき、この日は夏だというのにとても寒かったから、あたったのだという。
また、オタキアゲしないと、悪い病気に入られちやうぞっていったもんだという。
  ▽話者・・・金子要吉さん(高尾明治四十三年生)

b 高尾では、六月一日(旧暦)に麦わらを燃やす。なんでもその日は霜が降るほど寒い日だったという。その日朝早く、こじきのなりをした弘法大師が 通られた。村の人は気の毒に思い、施しだと思って門口で麦わらをたき、あたためてあげた。するとあとで、とてもいいことが続いたということで、それからは毎年わらを燃やすようになった。
  ▽井上浩「武蔵野の麦の習俗」。「埼玉民俗」五号、昭和五十年所収

C 宮内では六月一日(旧暦)の朝、門口で麦わらをわずか燃す。おじいさんがいたころはやっていたが、十年前ころには止めていた。
坂上田村麻呂が奥州征伐の道すがら、物見山(東松山市)の辺りを通りかかると、付近の村人が、いろいろと辺りに害を与えるので困っている大蛇の退治をたのんだ。そこで、物見山に登ってみると、旧六月一日だというのに雪が降っていた。一か所雪の無いところがある、そこにオロチ(大蛇)がいるというので、討ったのである。
入間川で裂いたという。兵隊が通るのを火を燃してあたらせたのだ。
  ▽話者・・・長島寿郎さん(宮内明治二十八年生)

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