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第11章 伝説・世間話・昔話・諺

第4節 諺

2 言いならわし

▽「荒井、高尾の馬鹿正月」・・・・・・荒井、高尾の字境は非常に入り組んでいた。そのため、互いに他の休みの日(正月と言った)に、付き合いで休んでしまったりした。
▽「荒井、高尾の彼岸しらず」・・・・・・荒井、高尾の人たちは、彼岸でも休みをとらず、良く働いた。
▽「一番座敷に二番風呂」・・・・・・座敷に上がるのは一番最初が良い。一番風呂は湯かげんをみなければならないから、風呂は二番目が良いという。しかし、一家の主人は一番に入ることが多かった。
▽「一文無しでは留守番は出来ない」・・・・・・いつ、弔いの報せが来るかもしれない。来られればいくらかの金を使いに包むものだった。
▽「鈎っつるしも休む」(参照391・660頁)
▽「雉のくそかき棒のようだ」・・・・・・ヒビやアカギレで、雉の足のようにごつごつで、がさがさに、汚くなった手などをいう。
▽「炬燵は色の仲人役」
▽「境っぽじくりは枕団子の足しにもならない」・・・・・・田に、一株でも多く苗を植え付けしようとするのは人情である。そこで、隣家の田との畔の内側を削るのである。そんなにこせこせしても仕方ないのに。
▽「仕事はののこ」・・・・・・「仕事はののこ(布子)って、よくいったもんだ。一生懸命働いてりゃ寒くない。雪が降っても、さく切りでもしてちゃ寒くなんかありゃしねえ。」
▽「しょうがなかったら高尾へ行け・・・・・・かって、高尾河岸には、様々な店や荷倉があった。そのため、必要なものが手元に無く困った時には、塩でも何でも高尾河岸へ行けば用が足りたのである。また、仕事にもありつけた。
▽「浅間様過ぎれば楽になる」・・・・・・しかし、これからまだまだ忙しい日が続き、やっと峠を越したといったところである。
▽「大工のぼろうち」・・・・・・同様のものに「屋根屋の雨漏り」がある。
▽「田植えノノコ」・・・・・・田植えのころ、ノノコトウジ(綿入れの袖無し)が欲しいくらい、肌寒いことがある。
▽「高尾お宮の荒井堂」・・・・・・高尾地区にはお宮が多く、荒井地区にはお堂が多い。
▽「タコトまんじゅう」・・・・・・農の五月の忙しいさなか、浅間様の七月一日の祭りには、小麦まんじゅうを作る。しいのに余計な仕事を持ち込んで困ったことだ、との意味で使われる。
▽「土用布子に寒裸」・・・・・・種蒔きの覆土は種子の大きさの二~三倍が良いという。麦蒔頃は日照度が弱くなるから覆土は薄くて良い。夏は厚いほうが良い。
▽「農の五月」・・・・・・「猫の手も借りたい農の五月」ともいい、農家は五月が一番忙しかった。新暦の六月上旬~七月上旬ころにあたる。
▽「灰は朝とれ」(参照397頁)
▽「貧乏暇無し溜め担ぎ」・・・・・・洗い水などを溜めておくセイナ溜は、ほっておくとすぐあふれた。昼の食休みの時にでも汲み出しておかねば、畑仕事にさしつかえる。
▽「舟一艘土地三町」・・・・・・荒川の舟運が盛んだったころ、舟一艘は田地三町に匹敵する資産といわれた。
▽「へエダラみてえだ」・・・・・・ぶくぶく太っている人のことをこのようにいった。肥料用の灰を入れておく灰俵は、米・麦の俵よりずっと大きかった。
▽「松山土瓶」・・・・・・「あの人は、松山土瓶で、口が悪い」などという。かって、東松山市に日用の雑器を焼く窯があった。ここの物でなくても、土瓶の口は欠けやすいものである。
▽「もらいっ子と苗は小さいほど良い」
▽「役場納めに行く」・・・・・・①納税に行く、②大便をしに行く。
▽「やつは天神崖だ」・・・・・・「てめえっかどが見えない」の意。昭和十五年ころまで良く使われたという。石戸宿の天神様のすぐ後ろは高い崖になっている。

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