北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第12章 民俗の変化と変貌

第4節 年中行事

やったことのないもの
やったことのないものについて、比率の高いものからあげると、第一位が盆に仏様を田畑に案内するのかしもの(六六.八%)、第二位が六月一日か七月一日に麦ヌカをもやす(六四.五%)、第三位がエビス講のカケブナ(五九.一%)、第四位が二月八日か十二月八日に目籠(ミケエ)をかかげる(五二.二%)、第五位がサナブリに苗をオカマ様に供える(五〇.九%)となっており、以上が五〇%以上の人がやったことのない、知らない行事ということになる。この五種の行事は、民俗学的には極めて重要な意味のあるものばかりであるが、すでに特別な家だけに伝承されている行事といえよう。第六位が田植えのサナブリのボタモチ(四六.三%)、第七位が初午にふろをたてない(三九.六%)、第八位がオヒマチのもちを親類に配る(三三.二%)、第九位がエビス講の高盛り御飯(三一.五%)、第十位が小正月のマユ玉団子(二七.一%)、第十一位がオヒマチにもちをつく(二五.三%)、第十二位が七夕にマコモの馬を作る(二三.八%)、第十三位が初午のスミツカリ(二三.五%)、第十四位が大みそかにミソカッパライをする(十八.四%)、第十五位が節分のイワシの頭さし(十七.九%)、第十六位が正月の年男(十七.六%)、第十七位が初午の赤飯(十五.三%)、第十八位が盆に盆棚を飾る(十三.〇%)、第十九位が七夕に竹を立てる(十ニ.五%)、第二〇位が七夕に小麦マンジュウをこしらえる(十.二%)、第二一位が正月のシメ飾り(七.七%)、第二二位が彼岸にボタモチを作る(六.一%)、第二三位が冬至にカボチャを食べる(五.四%)、第二四位が正月のお供えもち(四.六%)、第二五位が彼岸に親類の仏壇に参る(四.三%)、第二六位が節分の豆まき(三.六%)、第二七位が年越ソバ(ウドン)をたベる(二.八%)、第二八位が冬至のゆず湯(二.三%)、第二九位が彼岸の墓参り(一.三%)などとなっている。
①盆に仏様を田畑に案内する 今でもやっているのは明治生まれで六.六%、大正で二.一%、昭和一.八%にすぎない。やったことのない人は、明治で六四.五%、大正六六.四%、昭和六八.一%である。県内では北埼、埼葛地区などの水田稲作卓越地方を中心に行われている行事である。
②六月一日か七月一日に麦ヌカをもやす 今でもやっているのは、明治生まれ七.九%、大正一.四%、昭和一.八%。やっていたがやらなくなった人は、明治三一.六%、大正十三.七%、昭和二.五%。やったことのない人は、明治四四.七%、大正六〇.三%、昭和七六.七%である。入間比企郡を中心に荒川西岸地方で行われている民俗であり、北本市域は東限といってよい。
③エビス講のカケブナ 今でもやっているのは、明治生まれ九.二%、大正六.二%、昭和六.七%である。やっていたがやめた人は明治七.九、大正九.六、昭和十ニ.九%、やったことのない人は、明治五七.九、大正五六.二、昭和六二.〇%となっている。利根川流域を中心に行われている民俗であり、北本市域は西限といってよい。
④二月八日や十二月八日にミケエをかかげる 今でもやっているのは明治生まれ三.九、大正一.四%にすぎず、昭和生まれは零である。やっていたがやめた人は、明治四二.一、大正三四.九、昭和十九.六%、やったことのない人が明治で四二.一、大正四四.五、昭和六三.二%となっており、意味がわかりにくく、面白味にも欠けるため、物忌みの気持ちや恐怖感がなくなって、早期に消滅した行事の代表的なものといえよう。
⑤サナブリに苗をオカマ様に供える 今でもやっているのは、明治生まれ十三.二%、大正十一〇%、昭和八.〇%である。やっていたがやめたのは、明治三〇.三、大正ニ一.九、昭和二六.四%、やったことのない人が、明治四〇.八、大正四五.九、昭和五〇.三%であり、畑作地帯の北本では、稲作ことに植田にかかわる民俗は希薄である。

<< 前のページに戻る