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第2章 社会生活と親族

はじめに
本章では、社会生活と親族の慣行をとりあげる。資料収集は主として聞き取りによっており、明治末期から昭和初期生れの多くの方々にご協力いただいた。そこで記述の内容の時期は、大正末期から戦争前までの事が多い。また必要に応じて現行の事例を加えた。
人間は必ず集団をつくって生活を行う。よってそこに社会が生じる。そして社会を維持し運営するための種々の方策が講じられる(第一節~四節)。社会生活を営むうえで、家は重要な役割を果たしている。市内における家のあり方と族縁を通して行われる家と家のつきあいの慣行をその次にとりあげた(第五、六節)。

図1 村の模式図

市内に見られる伝統的な社会生活の、その骨子を取り出してみると、まず数軒の家からなる最小の家集団があり、それをクミアイと呼ぶ。クミアイはいくつかが集まって地域をつくり、それはブラク(部落)と呼ばれた。さらにいくつ かの部落が集って村を作るというものであった。村には耕作地や山林、河川があり、墓地や寺院もある。また鎮守が村の統合の象徴として祭られていた(図1)。
最近激しい住宅地化を迎えている北本市であるが、その伝統的社会の基本は村であった。そして村の範囲は、江戸時代に作られた、市域に一五を数える近世村の範囲に一致する事が多かった。近世村は明治以降は大字と呼ばれ、明治二十二年以降は行政的な働きを失うのであるが、人々の意識の中には根強く残っていて、種々の民俗の伝承基盤となっていた。それが今大きく変化しつつある。

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