北本市史 民俗編 民俗編一覧
第2章 社会生活と親族
第1節 村のあらまし
1 行政区の変遷
現在の北本市の市域は江戸時代は武蔵国の北方に位置し、足立郡に属していた。正保期には一四か村、明治元年には表1のように一五か村に分かれ、天領・推本領・寺社領から成っていた。表1 近世の領有関係及び町村制施行までの行政区画
村 名 | 正保田團簿 (正保年間) | 旧高旧領取調帳 (明治元年) | 藩県の変遷 | 区 | 連合戸長役埸 |
---|---|---|---|---|---|
下石戸上村 | 旗本牧野氏(下石戸村) | 旗本牧野氏 天領 | 武→大→浦→埼 | 18 | 上日出谷村 |
下石戸下村 | 〃 | 〃 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
石 戸 宿 村 | 旗本牧野氏(石戸町) | 〃 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
高 尾 村 | 〃 | 〃 〃 | 〃 | 17 | 原馬室村 |
荒 并 村 | 〃 | 〃 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
北 本 宿 村 | 天領(本鴻巣村) | 旗本三上氏 | 〃 | 18 | 東 間 村 |
深 井 村 | 天領 寿命院 | 旗本日下部氏 岡部氏 | 〃 | 17 | 〃 |
宮 内 村 | 天領 | 旗本内藤氏 数原氏 小林氏 | 〃 | 〃 | 〃 |
山 中 村 | 〃 | 旗本横田氏 | 〃 | 18 | 〃 |
古 市 場 村 | 〃 | 旗本日下部氏 | 〃 | 17 | 〃 |
上 中 丸 村 | 〃 | 〃 | 〃 | 18 | 〃 |
下 中 丸 村 | 〃 | 旗本日下部氏 多門氏 | 〃 | 18 | 〃 |
常光別所村 | 〃 | 旗本横田氏 阿部氏 | 〃 | 17 | 〃 |
花 ノ木 村 | 〃 | 旅本前田氏 岡氏 | 〃 | 〃 | 〃 |
東 間 村 | 〃(東マ新田) | 天領 | 〃 | 〃 | 〃 |
(注) 武は武蔵知顕事支配、大は大宮県、埼は埼玉県を示す。
明治維新の慶応四年(一八六八)閏四月、新政府により府藩県三治制が公布されるに伴い、市域は武蔵知県事の支配下に置かれた。翌明治二年(一八六九)、新たに置かれた大宮県(後に浦和県と改称)の管轄するところとなった。明治四年(一八七一)の廃藩置県により、現在の埼玉県の県域は入間県と埼玉県の二県に整理、統合され、北本市域を含む荒川以東、熊谷以南の地は埼玉県の管轄下に入った。さらに明治五年(一八七二)、行政の末端機構として町村を統合した区が設置され、旧埼玉県内は二五(当初は二四)の区に分けられたが、市域の一五か村は鴻巣側の第一七区と桶川側の第一八区に属することになった。この区制は明治十一年(一八七八)「郡区町村編成法」の実施により廃止され、郡や町村が復活し、市域は浦和町の北足立郡役所の管轄下に置かれた。
このころ県内の町村は、例えば明治八年(一八七五)に市域において上中丸村と下中丸村が合併し北中丸村となったような例外を除き、県内の町村は大半が江戸時代の近世村のままであり、埼玉県内だけでも一九〇〇余りもある状態であった。中央集権的な行政機構の整備を目指す明治政府はこれらの町村の整理、統合を進めようとし、失敗に終わった区制も、この政策の一環として採られたものであった。中央政府からの町村統合のはたらきかけはさらに続き、明治十七年(一八八四)には五〇〇戸を基準として町村を連合させ、「戸長役場」を置く「連合戸長制」が実施され、市域の各村も表1のような連合戸長役場に整理された。さらに明治二十二年(一八八九)の「市制・町村制」の施行に伴い、北本市域は北足立郡石戸村と同郡中丸村の二村にまとめられた。その後、昭和十八年(一九四三)、この両村が合併して北本宿村となり、現在の北本市域が確定した。昭和三十四年(一九五九)に町制施行、昭和四十六年(一九七一)十一月三日に市政を施行し北本市となり、現在に至っている(表2)。
表2 明治初期以降の市町村分合表
○印の村名の北の冠称は明治12年3月に付されたものである。
カッコ内の数字は明治22年の人口である。
『埼玉県市町村誌』より
図2 大字界図(昭和42年市制施行治)
地区 | 番号 | 大字名 | 人口 | ||||
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明治9年 | 明治22年 | 昭和41年 | 昭和45年 | 昭和47年 | |||
石 戸 | 1 | 下石戸上 | 450 | 512 | — | 3,255 | 3,607 |
2 | 下石戸下 | 425 | 532 | — | 3,856 | 9,681 | |
3 | 石 戸 宿 | 726 | 943 | — | 969 | 1,063 | |
4 | 高 尾 | 1,022 | 1,016 | — | 4,121 | 4,419 | |
5 | 荒 井 | 672 | 839 | — | 1,837 | 2,447 | |
小 計 | 3,295 | 3,842 | — | 14,038 | 21,212 | ||
中 丸 | 6 | 東 間 | 321 | 402 | — | 3,772 | 4,316 |
7 | 北 本 宿 | 283 | 286 | 4,415 | 5,130 | 5,361 | |
8 | 深 井 | 343 | 366 | — | 1,142 | 1,191 | |
9 | 宮 内 | 344 | 404 | — | 2,567 | 2,645 | |
10 | 山 中 | 89 | 96 | — | 704 | 1,022 | |
11 | 古 市 場 | 159 | 177 | 412 | 621 | 646 | |
12 | 北 中 丸 | 749 | 828 | 2,670 | 3,332 | 3,639 | |
13 | 常光別所 | 207 | 236 | 283 | 328 | 330 | |
14 | 花 ノ 木 | 76 | 89 | 75 | 65 | 74 | |
小 計 | 2,571 | 2,884 | — | 17,661 | 19,224 | ||
合 計 | 5,866 | 6,726 | —— | 31,699 | 40,436 | ||
出 典 | 「武蔵国郡村誌」 | 「市町村合併史上」 | 市企画財政課資料 | 国勢調査 | 市企画財政課資料 |
(注)昭和50年の国勢調査では、新町名が分立し14大字で一貫して示すことができなくなった。