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第2章 社会生活と親族

第2節 村の中の区分とつきあい

1 村の中の区分

北中丸
江戸時代は上中丸村と下中丸村であったものが、明治八年に合併した。北中丸村と改名したのは明治十二年である。
現在北中丸は東・西・南・北と呼ぶまとまりに分れている。東を第一部落、南を第二部落、西を第三部落、北を第四部落という。このような呼び方がいつからのことかは伝えていないが、深井での伝承から考えると、昭和十八年からのことと思われる。明治の中ごろは北中丸は一つのまとまりで戸長があって代表していたという。江戸期の上中丸は西と北で、下中丸は東と南とのことである。村内の四つのまとまりを地区とも部落とも呼ぶ。
東、西、北は農村地域で昔の景観を比較的に保っているが、JRの線路に近い南は住宅地化して一変し、昔ながらのまとまりを失っている。
四つの地区は伝統的行事を行う基盤であった。まず昔から各地区に天王講という行事があった。七月十五日、六日で、地区毎に宿の家に集まって宴会をする。また、第一部落(東)は八月十日に安養院の観音様の燈籠祝をする。この時東の中だけに神輿を出す。観音様のお開帳があって村の人達はお参りする。第四部落(北)は夏祭りに公会堂で盆踊りなどを行う。雨が降った時など各家の回り順で慰労会をした。それを精進という。これも部落ごとであった。
消防は中丸は南と東とで一組、西と北とで一組だった。村の男はだいたい入っていた。消防小屋はそれぞれの組にあった。夜警は各部落每に行った。夜に三軒ずつが組になって部落を回った。
住宅地化した所では、住居表示の「丁目」ごとのまとまりができている。たとえば、中丸三丁目、四丁目では八月二日に子供広場で盆踊り大会を行う。最近は、昔ながらの四地区のまとまりをやめて、住居表示ごとのまとまりを作ろうとする動きがある。たとえば、自治会は各地区毎に組織しているが、近い内に住居表示の丁目毎に自治会を作る事になっているという。五〇〇戸で一自治会を基準にするそうである。

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