北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第2章 社会生活と親族

第2節 村の中の区分とつきあい

1 村の中の区分

常光別所
かつては四〇戸だったが、現在は八〇戸余りになっている。神社の祭祀に関して上、中、下の三つに分れる。「村内御祈禱諸掛控帳」(柳井一郎家所有 昭和五十八年昭和五十九年、昭和六十年の三冊)では祭礼の当番が上、中、下から二名ずつ当番している。
代参誹に石尊講、榛名講、雷電講などがあった。いずれも春に二人ずつくじを引き代参者を決めた。
北本市域のすべての大字を見た訳ではないが、当市内の村内区分は「部落」と呼ばれることが多かった。「地区」、「区」という言い方は最近のもののようである。宮内、深井に「クルワ」という言い方があるが、特筆すべきだろう。代参講の結成基盤になっているごとく、村内区分は民俗行事の伝承基盤であった。また村の鎮守の役員などの「村役」を選出する単位であり、道普請その他の「村仕事」の単位でもあった。村の人々にとっては生活の拠り所だったのである。このように、過去の長い間、村社会の中の重要なしくみの一つであったのだが、最近の村景観の変化は、やがてこのような民俗をも消滅させてしまうのであろう。

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