北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第2章 社会生活と親族

第1節 村のあらまし

2 村の境とその行事

図2において示されたような地理的な境界が、そのまま人々にとって「村の境」として意識されているわけではない。わが国の「村」においては伝統的には「村」の境界は線によってではなく、村に入る道の上の点によって意識されている。このことは北本市域においても例外ではなく、今にいたるまで残存する「村境い」に関わる風習に見てとれる。
また市域においては、榛名講が盛んである。だいたい三月の彼岸までに各村から数人が群馬県榛名町榛名神社に代参する。そして、次のように記された札をもらってくる。
風雨順時
榛名神社御祈禱御札
五穀豊穣
これを、常光別所においては、村に入る道の村への入口四か所に「シホウ(四方)ガタメ」と称して掲げる。「榛名山のお札」は台風よけになるという。同様に宮内においても「榛名山のお札」を「アクマヨケ」「アラシヨケ」として、村への入口に掲げている。
また、常光別所においては、夏祭りのときに、騎西町の玉敷神社から雌雄二体の獅子を借りてきて、「アクマバライ」を行ったという。村の各家をねり歩き、村の境から「アクマ」を追い出すのである。かつては「アクマバライ」のときに神輿も回ったが、常光別所と北中丸の境で両方の神輿が争い、常光別所の神輿が敗けたことがあった。この年に大水が出たため、以後、常光別所では神輿を出さなくなったという。
邪悪なものが村に侵入するのも、村から歓迎されざるものを追い出すのも、田畑を通じてではなく道路上の境を通じてであり、ここの霊的な守りが肝心なのである。

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