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第3章 農業と川漁

第1節 畑と畑作物

3 畑作の過程

(一)麦
麦蒔き
「千駄(せんだ)の肥(こや)しより蒔きしん(旬)」「千駄の肥より一夜の蒔きしん」といい、麦は種蒔きの時期が大事だった。
十月下旬から十一月上旬が麦蒔き時期で、十一月十日の十日夜(とうかんや)までに終らせればいいとか、昔は明治節(十一月三日)が蒔き旬だったなどという。おおかたは十月二十日ころから始め、十一月三、四日に終るように心がけられたようである。ただ、蒔き旬は畑の状況によって多少異なり、土が軽く、タッペ(霜柱)が立ちやすいところは、芽だちが悪いのでいくぶんか早めに蒔き、里土(クロマサ)の畑は少々遅れても大丈夫だったという。また、大麦と小麦では小麦を先に蒔き、その後に大麦となった。
この時期は稲刈りも行わなければならず、蒔き旬に的確に蒔くことは容易ではなかった。時には稲刈りを中断して麦蒔きを先にしたり、遅れたので麦の種子を家族が入った後の風呂水に一晩漬け、芽だちを良くしてから蒔くこともあった。また、隣組などで麦蒔きが遅れている家があると、スケットなどといって手伝うこともあったという。手伝いを貰うとその晩には、来てくれた人に酒を出してご馳走するのが礼儀であった。
現在は十月下旬・十一月初旬に霜が降りることは少ない。しかし、昭和初期にはこの時期になると霜が降り、陽が昇ると溶けて道も畑もぬかるんだ。こうなると畑まで行くのに足が泥だらけとなったし、麦蒔きもしづらかった。そこで麦蒔きといえば、だれもが朝早く家を出て仕事を始め、働き者の家ではまだ薄暗いうちに一、二反蒔いてしまったという。
一口に「千駄の肥しより蒔きしん」というが、この言葉には以上のような意味が含まれているのである。
麦蒔きの方法には、大きく二通りがあった。一つは畑に二尺間隔で切ったサクにダゴイ(堆肥)を入れ、この上に麦の種子を蒔いて土をかける方法で、もう一つはダゴイや灰と麦種子を混ぜてサクに蒔く方法である。この二つの方法は、現在の古老の世代ではともに行われたが、種子と肥料を混ぜて蒔く方法は、手のない(働き手の少ない)家でしていたとか、畑を多く作っていて早く麦蒔きを進めなけれぱならないような家でしたなどといわれ、大正末・昭和初期には麦種子と堆肥(たいひ)を別に蒔くのが多かったようである。
しかし、なかには種子と肥料を混ぜて蒔くのが当然だったように話す古老もいる。さらに大宮台地一帯の地域では、こうした蒔き方を古い方法とするところが多く、北本でもかつては種子・肥料混合蒔きが一般的だったと考えられる。

写真7 麦播(下石戸上)

種子・肥料混合蒔きは、麦蒔きを行う前日のヨナべに種子と肥料を混ぜ合わせる。これをコヤシアワセといい、家の庭など平らなところにモッコでダゴ工を運びだし、これに麦種子と灰、豆粕を混ぜる。モッコは長さ五尺、幅三尺ほどの大きさに縄を編んで作ったもので、ダゴイはこれに一五杯、あるいは二〇杯を一反分とした。種子の量は反当たり三~五升で、少し盛り上げたダゴイの上に灰や豆粕と一緒にのせ、鍬で切り替えして混ぜた。豆粕などの量は家によってまちまちだが、北中丸の加藤米吉氏(明治二十二年生)はダゴイニ〇杯に豆粕二八貫目、さらに過燐酸(かりんさん)を一〇貫目くらい混ぜたという。この方法は種子と肥料を平均的に混ぜないと、麦株の大きさが揃わないのが欠点で、混ぜ合わせは丁寧に行われた。
コヤシアワセをしたものは、翌朝畑に運んで蒔く。近い畑へは藁を編んで作ったテゴッタワラ(単にテゴともいう)に入れて天秤棒で担ぎ、遠い畑はテゴやカマスに入れ、荷車に乗せて運んだ。畑ではコエムシロ (肥筵)を敷いて上に種子と肥料を混ぜたものをあけ、ここからザルにとって麦蒔きを行った。一斗五升のザルを使い、縄で肩から支え持ち、ひとつかみずつサクにボッチ蒔きにしていく。ボッチ蒔きというのは、蒔いた種子が株になるように点播していくことである。コヤシアワセを丁寧にしなければならないのは、ザルからつかんだ中にほぼ同じ量の種子が入ってないと、株の大きさが揃わないからである。
麦蒔きの時の分担は、男がテゴで種子と肥料を混ぜたものを運び、女がボッチ蒔きをし、その後男がサクに土をかけていくことが多かったという。土をかけるのはコスリマンガを使い、さらに足で土を寄せながら平にした。
種子と肥料を別に蒔く方法は、まずダゴイと灰を麦蒔きの前日のヨナべに混ぜた。同じようにダゴイを切り出してモッコで庭に運んで灰を混ぜ、一反分あるいは二反分ずつのボッチ(山)に分け、さらに金肥を混ぜ込んだ。ダゴイに混ぜる灰は、麦蒔き灰といって家の竃などから出たものを溜めて使い、金肥は豆粕・干鰯(ほしか)・過燐酸などだった。
こうして混ぜた肥料は、テゴに入れて翌朝畑に運び、一斗五升のザルに分けて持ち、サクに入れる。肥料の量は畑の形や大きさにもよるが、一サクにザルで一~二杯程度で、一反分にするとダゴイは二〇〇貫、豆粕は一枚八貫目のものを三枚くらい、干鰯は粉にして二斗程度という。
肥料を入れるとこの上に麦の種子を蒔く。一反当たり大麦は四升前後、小麦は粒が小さいので三升から三升五合くらいで、一升枡などに入れて持って蒔き、終ると上からコスリマンガや足で土をかぶせていった。種子の量は現在はこれより少なく、サクに筋に蒔く (条播)が、かってはこの方法でもボッチ蒔きのように、点播だったといわれている。

図3 コスリマンガと肥万能

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