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第3章 農業と川漁

第1節 畑と畑作物

3 畑作の過程

(一)麦
麦 刈 り
大麦刈りは春蚕があがる前、五月末から六月初めに刈り取った。春蚕が上がるのは六月五日ころなので二、三日前には片付くようにした。小麦は大麦より半月くらい遅く、刈り取りは六月半ばから二十日ころである。
刈り取りについては、「麦は十八を刈れ」といって若刈りにした方が味が良いとされている。「十八」というのは成長しきる以前ということで、人間の年齢になぞらえた言い方である。また、「麦は出穂を見て四〇日で食べられる」ともいわれている。穂を出して四〇日すると新麦を口にすることができるという意味である。
大麦・小麦とも刈り取りは草刈鎌を使い、大麦は刈り干しといって刈った麦を二、三日間サクに横に並べて干した。乾いたところをひと抱えほどの大きさに束ね、束をサシボウに突き刺して荷車まで担ぎ、家に運んで来た。サシボウはツノンボとかヤリボウとも呼ばれ、三寸程の太さで一間くらいの真竹の両端を斜めに切って尖らせたものである。この棒の前後に二把ずつ付け、さらに手に一把を持つなどして運んだ。小麦の場合は刈り干しをせず、刈り取るとすぐに束ねて家に運んだ。小麦は雨に当たると黒くなり、品質が落ちるからだという。畑から家に運ぶのにリヤカーを使うようになったのは昭和五、六年ころからで、牛を飼い始めてからは牛車も使った。
家に連んで来た麦束は、物置の中に穂を上に向けて積んだ。よく乾いている麦はホアワセ(穂合わせ)といって、穂を上にして束を並べ、この上に穂を下にしてもう一段積んだ。穂合わせに積むと重ねても熱をもつことはなかったという。こうしておいて田の仕事が片付くと脱穀に取りかかったのである。

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