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第3章 農業と川漁

第1節 畑と畑作物

3 畑作の過程

(四)サツマイモ
芋 掘 り
普通は九月の彼岸ころから掘り始め、おおよそ十月下旬までに芋掘りと出荷が続く。天候が良い年には八月のお盆の供物用に掘ることもできたという。十月下旬というのは、昔はそのころになると霜が降り、サツマイモの蔓は霜に当たって真つ黒になってしまった。こうなるとイモも傷むので、霜が降りる前に掘りあげた。昭和初期のサツマイモの品種は晩生種の金時(紅赤)が中心で、芋掘りの時期が遅かったのである。太白や花魁は早生種なので、収穫は金時よりも早く、八月中旬から九月上旬には最盛期となる。戦中から戦後にかけては、全体的に収穫が早くなり、八月中旬から九月いっぱいに掘り取りが行われるようになった。
芋掘りは出荷のための荷造りがあるので、朝早くから始めた。夜が明けると畑に出て三、四畝掘り、朝食をとった後、一一時ころまでに掘り上げて俵詰めをした。芋掘りにはイモホリマンノウという改良マンノウを使い、サクの左右から掘って一株ずつあげる。蔓は掘る前に根元で切ってサクの脇に寄せ、順次イモを掘ったサクに入れて足で踏み込んだ。イモはマンノウで傷めないようにできるだけ深く掘るのが大事で、浅いと蔓も踏み込めなかった。なお、蔓はイモを掘ってから五、六日程そのままにして枯らせ、その後でサクにうない込むこともあった。この方が枯れていて軽く、作業は楽だという。
乳牛を飼うようになってからは、サツマイモの蔓は飼料になり、家に運ぶようになったが、畑にうない込んでいた当時は、これが良い肥料となって作物の出来も良かったといわれている。
五人くらいで行えば、お昼過ぎころまでには一反は掘れ、イモはテゴに入れて荷車の入る道まで運んだ。イモは重く畑から運び出すのが大変で、後には堆肥の運搬に使うモッコにのせて二人で持って出すようになったという。荷車、後には牛車で家に運んだイモは、俵に詰めて出荷となる。

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