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第3章 農業と川漁

第2節 水田と稲作

3 稲作の過程

(一)摘み田
畝引き
摘み田のタツミ(田摘み)は八十八夜が蒔き旬で、遅くとも月遅れの五月八日のお釈迦様(灌仏会)までに終るように行ったといわれている。四月下旬から田摘みは始まるのだが、この時にはまず初めに田に筋を引いた。種籾を摘む際の目印となる筋で、これを引くことをウネヒキ(畝引き)という。

写真18 摘み田のウネヒキ(高尾)

田摘みを行う日の朝にしたり、あるいは摘む直前だと田が濁って筋が見えないので、前日に行っておいた。雇人であるオトコシがいる家ではもっぱらオトコシの仕事で、エブリ状のウネヒキ棒を使って後退しながら畝引きをした。畝引きの筋は古くは縦の一方向だけだったので、ウネヒキ棒も片側だけに歯が付いたものだった。年代は確定できないが明治末~人正初期ころに改良蒔きなどといって、縦横両方向から筋を引いて交わった所に摘むようになり、ウネヒキ棒も両側に幅を変えた歯を付けるようになった。縦と横の歯の間隔が違うのである。しかし、縦横の筋を引いて摘むようになっても、すべての人がこうしたわけでなく、一方向だけ筋を引いて摘むことも多かったようである。縦だけ筋を引き、横は田摘みのときに縄を張って筋を付けたという人もある。
ウネヒキ棒には五尺幅のものと、一間幅のものがあり、一方向の筋の時代はここに一尺間隔に歯があって、一回で六本の筋が引けた。ただし、一回引くと次の列は端の一本を重ねて引いたので、結果的には一回に五本の筋となる。一間幅のウネヒキ棒だと一回に倍の筋が引けることになる。なお、筋の間隔は八寸や九寸の場合もあった。
畝引きの筋については、北中丸では「曲がり八石、くねれば九石」という言い方が伝えられている。真意の程はよくわからないが、言葉通り解釈すれば、曲がりくねったほど米がよく取れるということになる。ところが筋が曲がっていると、冗談で心が曲がっているからだなどと笑われたものだったともいう。「曲がり八石、くねれば九石」はまっすぐに引かなくてはいけないことを、逆の言い方で表現しているようにも考えられる。

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