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第3章 農業と川漁

第2節 水田と稲作

3 稲作の過程

(一)摘み田
稲 干 し
刈って束ねた稲の乾燥法は二通りの方法があった。ソリに積んでクロなどに出し、並べ立てて干す地干しの方法と、ハンデ(ハデ)に掛けて干す方法である。前者の場合には、刈った稲の束を三、四手で一把といった具合いに大きくし、二把ずつ穂を上にして向かい合わせて並べて干す。クロだけでなく、田の周りにはたいてい畑があり、ここにも並べて干した。
ハンデというのは稲架のことで、ソリやカンジキが必要ないような条件の良い田に竹を立てて作ったり、屋敷の周りや家の近くの畑に杉丸太を組んで立てて横に竹を渡したものである。ハンデに掛ける場合は大きな束では掛けられないので、小束にしてハンデカケといって一把ずつかけていった。また、刈ったばかりの稲は青くて重いので、田のクロに立てて二、三日干し、少しでも軽くしてから荷車(手車)で家に運び、これをハンデに掛けて干すという方法も行われていた。
稲の干し方にはこのような方法があり、ハンデに掛けて干すのがもっとも良いとされている。藁もよく乾くし米の質も良く、稲扱きの後の籾干しもハンデに掛けた稲は一日でよいといわれている。しかし、実際にはハンデカケにする稲は少なく、クロや畑に束を立てて干すことが多かったようである。北中丸ではハンデに掛けたのは全体の三割程度だったという。多くを地干しにしたのは、ハンデを作る材料を十分に用意できなかった上に、摘み田の稲は藁がかさばり、掛けきれなかったためとのことである。

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