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第3章 農業と川漁

第1節 畑と畑作物

2 畑作物

(二)作物と畑
麦 類
『武蔵国郡村誌』の宮内には裸麦の記録もあるが、古老の伝承では裸麦はほとんど作らなかったといい、大麦と小麦であった。大麦と小麦の作付比率は、現在は小麦の方が多くなっているが、かっては逆に大麦の方が圧倒的に多かったという。下石戸下では大麦八割に小麦が二割、高尾や深井では大麦が七割に小麦が三割だったなどといわれている。大麦が多いのは、この後に作る作物との関連で、早く収穫できるからである。小麦は大麦より半月程収穫が遅く、サクの間にオカブやサツマイモなどを作付けると成長が遅れてしまう。
麦類と土質との関係については、総じて砂が少し混じった畑の方ができが良く、大麦は地が良くないとできないが、小麦は地が悪くても取れるという。地がいい、悪いというのは、一つにはアカドロかクロマサかということで、台地上の軽い土質の畑は悪い畑とされている。古老の言葉を借りれば、風が吹くと砂ぼこりが舞い上がるような軽い地では小麦しか作れないという。たとえば東間では、JR高崎線から東に向かって南北に幅三、四〇〇メートル程の帯状に麦のできの良い所と悪い所があり、現在の七丁目付近は大麦だと風で吹き飛ばされる心配があるので小麦を作った。ここは小麦も収量が少なく、一反当たり三俵ということもあった。これが五丁目付近だと五俵くらいは取れるという。
土質の軽い所に小麦を作るというのは、ほぼ全市的にみられ、常光別所では無量寿院周辺の畑は土が軽く、小麦を作るという。山の山林を切り開いて造った畑も地が軽く、冬に山起こしをしてオカブを作ると、次はたいてい小麦だった。開墾地は小麦ということも各地区が一致している。

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