北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第3章 農業と川漁

第5節 労働と休日

1 労働慣行

奉 公 人
戦後しばらくまでは大きな農家ではサクオトコ、サクオンナあるいはオトコシ、オンナシと呼ぶ奉公人や子守りを雇っていた。家族労働だけでは足りないので、住み込みで人を雇って仕事を進めたのである。荒井では一〇軒に一軒くらいの割合でサクオトコを雇っていたという。基本的には一年契約だが、チョウネンといって何年も継続する場合もあり、なかには雇っていたサクオトコを分家として家を出してやることもあったし、子守りからずっと奉公している女性だとその家から嫁に出してもらうようなこともあったという。人柄や働きぶりなどによっては、単なる雇主・奉公人の関係を越え、家族の一員であるかのような扱いを受けたわけである。
奉公人の契約の切り替えをデカワリという。通常は暮れの二十五日(または二十四日)が契約切れで、翌年も続けるチョウネンの場合は、二、三日家に帰ってから再びきた。新たな人に変わる場合は正月の十五日か、十六日から奉公が始まった。オトコシにしてもオンナシにしても奉公を始める日には、親が付いてきたのでご馳走を出して親に給金の半分、または全額を渡したという。
奉公人の給金は年齢や一人前かどうかなどで違い、荒井の明治三十三年生まれの人は、自分が初めて奉公に出たのは一四歳の時で給金は年間で一〇円、次の年(一五歳)は一二円になり、一六歳になってから一六円くれるという家があって奉公先を変えた。しかし、その家は翌年は一七円しかくれなかった。一人前として扱われたのは徴兵検査が終ってからで、それからは一〇〇円もらえたという。
奉公人はもちろんアサヅクリ、ヨナベも行ったわけだが、祭りやノアガリ正月などの日は仕事を休み、正月十六日や盆の十六日はヤブイリでアサヅクリやヨナべは休みとなった。ヤブイリの日は「カギッツルシでも休み」といってそれぞれ一日休みとなり、実家に帰ったともいわれている。また、盆や暮れにはシキセといって足袋や下駄、チョイチョイ着(普段着)を貰うのがしきたりで、小遣いもくれる家があった。
子守りについては、オオッシュウコ(奥州っ子)といって、他の土地から八、九歳の男の子が奉公にきたともいわれている。どのような経緯をたどって雇われるかは不明だが、三年年季が普通で、中には五年年季の子もいたし、モリ(子守り)から入ってオトコシになる人もあったという。

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