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第3章 農業と川漁

第5節 労働と休日

2 休日と農耕儀礼

(一) モ ノ 日
高度経済成長期以降、農作業の機械化が急速に進み、いまや動力耕耘機、田植機、コンバインといった農業機械なしに農作業を行うことは考えがたくなっている。動力機械の普及は、作業能率を飛躍的に高め、省力化を推し進めたが、一方では兼業化の進展に拍車をかけたことも確かである。
極端な言い方をすれば、機械化や兼業化が進むことによって、多くの家では、農業が片手間仕事となり、会社・工場勤めの合間に畑や田を作るようになったということができよう。
しかし、こうした傾向が進む以前は、生活のリズムは季節ごとに行われる農作業を軸につくられていた。前節までに述べたような手順で麦作や稲作が行われ、仕事の区切り目や正月・お盆といった昔からの年中行事、あるいはムラの祭りなどの日には、仕事を休んでいた。
農作業を休む日はモノ日と呼ばれ、各家では普段食べないようなかわりものを作ったりした。しかし、モノ日は各家が勝手に決めたものでなく、ムラや組ごとに日を決めたり、昔からの習わしに従っていた。具体的にあげると、ムラや組で日を決めて休む日には、摘み田の種蒔き終了後のノアガリ・ノアガリ正月、麦蒔き後のノアガリや雨降り正月がある。ここでいう「正月」は、農作業が一段落し、家でかわりものを作って仕事を休むということで、こうした言い方は北本だけでなく、大宮台地一帯の地域で聞くことができる。明治四十五年一月に石戸尋常高等小学校で編さんした『石戸村郷土誌』には明治四十三年から施行された休日制度が表13のように記されている。期日の定まった日として四三日あり、他に数日の休日があるとしている。
表13 休日一覧(明治43年施行)
休      日備          考
11、2、3、7、11、15、16、20、30門松・七五三飾リヲスルコト、一日ヲ以テ新年宴会ヲ催ス、7日七草、11日蔵開、16日賽日、20日恵比寿譴、30日孝明天皇祭
21、初午、11、151日次郎ノ朔日、初午、11日紀元節
33、4、15、彼岸中日3・4日ハ雛祭、彼岸ノ中日ハ春季皇霊祭
43、8、153日神武天皇祭、8日灌仏会
55、6、155・6日ハ端午ノ節句トス
615
71、7、14、15、161,2日節句トシ且ツ村社祭典ヲ執行ス
81、2、151、2日節句トシ且ツ村社祭典ヲ執行ス
9二百十日、15、彼岸中日彼岸中日ハ秋季皇霊祭、此ノ日大会ヲ催ス
101、17、2017日神嘗祭(日待)、20日恵比寿講
113、15、233日天長節、23日新嘗祭
121、1515日小学校開校記念日
  計  43日

(尚其他ニ丑ノ日、寅ノ日、農上リト称シテ田植及麦蒔キ後ハ一般ニ休業スルノ習慣アリ)
(昭和45年1月石戸尋常高等小学校編『石戸村郷土誌』より)


ノアガリや雨降り正月は、時期は毎年一定していても期日はその年の仕事の進み具合いで異なっている。これに対して毎月の一日・十五日やお日待などは、期日の定まったモノ日である。今では月づきの一日・十五日に仕事を休むような家はないが、昭和初期までは一日・十五日には朝からかわりものを作って休むのが習わしだった。

写真36 榛名神社のお札と筒粥表

(下石戸下)

お日待はムラや組で祀る神社の祭りの日だが、家々にとっては農作業を休む日という感覚が強かった。春と秋の二回で、いずれも餅を搗くというのが一般的で、春日待、秋日待ともいわれている。たとえば、深井では氷川様の祭日の四月十五日と十月十五日がお日待で、春には草餅や紅白の餅を搗き、秋には収穫したばかりの糯米でボタモチやアンイリを作り、親戚に配ったりもした。東間では四月十五日と九月十五日、高尾では四月十八日と十月十八日、荒井では四月十五日と十月十五日に日待をしていた。これらの日には神社でお神楽が行われたところもあるが、「話はお日待の晩」といい、家から嫁いだ娘も里帰りし一晩泊まるなどして四方山話に花が咲いたのである。
前述のように年中行事のある日や講の集まりの日もモノ日で仕事を休む。これらについては別の章で記されるので、ここでは述べないが、さまざまな講のうち榛名講は農耕と密接な関係をもっている。榛名山は作神様であり、雹(ひょう)除けの神様と信じられており、毎年講ごとに代参者が参拝し、お札を受けてきて畑やムラ境に立てている。代参は四月上旬が多く、この人たちが帰ってくると「ハンナ(榛名)正月」などといって休日となつた。榛名正月という名称は、市内では必ずしも一般的ではないが、ほとんどの所で、この日をモノ日として講の仲間が集まっていた。なお、北中丸では長野県の戸隠神社も作神様で、戸隠講があって筒粥表を受けたという。

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