北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第6章 衣・食・住

第1節 衣生活

3 娘時代

小学校六年を終えると、高等科へ進む子と 東京や川越へ奉公に出る子とがいた。また、近くの大百姓へ子守り奉公に行く女の子も多かった。昭和十年ころは、東京へ奉公に行くことがはやり、娘たちは、東京へ行くことを夢みていた。どうしても母親に許してもらえなくて行けなかったと笑っていたおばあさんもいた。

写真5 女子青年妙義登山

(昭和4年)

奉公に出て、女中や子守りをしている娘も、わりあい裕福な家に生まれた娘も、学校を出てから結婚するまでの間に、期間の長短はあるが、ほとんど「お針のけいこ」に通っている。一人前の女性として、「お針」は欠くことのできないものだった。
昭和十年過ぎから服装は「着物」(和服)から「洋服」の時代となり「お針」も「洋裁学校」と変わってくる。
娘たちにとって、お針のけいこも、洋裁学校も同年配の人たちの集まりの場であり、それはそれは楽しい所であった。奉公に出た娘たちでも、「お屋敷奉公してうれしかったのは、奥さんや年上の奉公人から夜なべ仕事にお裁縫を教えてもらえることだった。」という。

<< 前のページに戻る