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第6章 衣・食・住

第1節 衣生活

5 仕事着

日常着
ふだん家の中にいるときに着るものを,「日常着」と考えると戦前の大人、とくに女性はほとんど長着にタスキ、丈の長い前掛だった。男性は、改まった埸に出るときや、ちよつとした外出も着物(和服)だったが、日常着はかなり早くからシャツとズボンになっていた。
日常の着物は、古くは自分の家でとった絹糸で織り、縫ったものだった。そのうち木綿地が出まわり、大人は「地縞」で作り、子どもには「ニコニコ」で作って着せた。
地縞はものが悪くかなり粗い縞で、色も茶や黒系統でニコニコより安く買えた。「ニコニコ」はガス糸で織ってツヤのある布だったが弱かった。ニコニコは色や柄の大きさで年齢差をつけ大人も子どもも着たが、地縞を子どもに着せることはほとんどなかった。
しかし、農家の女の人が家の中で長着姿でいることはあまりなかった。とくに農繁期は、野良着を脱ぐひまさえなかった。昔は、朝起きたらまだ暗いうちに野良着を着て朝づくりに出た。暗くて稲とヒエの見わけもつかないうちから手さぐりで田の草をとった。七時ころ朝飯に帰り、すぐまた田へ行った。夜は田の草が見えなくなるまで働き、おそい日は八時近くまで外にいた。家に帰ると、夕飯を食べて風呂に入って寝まきに着がえて寝るのがやっとで、長着物など着ている時間はなかった。六月は麦の刈り入れ、田植え、お蚕と仕事が重なり一年で一番忙しく、衣類を着がえることなど考えられなかった。
昔の家は造りもうまくできていた。食事の用意も、食事も、ちょっとした着がえができる場所も台所(土間)にあったので、朝起きてから夜寝るまで足を洗ったり、日常着に着がえたりしなくても生活ができた。夏は半日で野良着を着がえたが、それも台所でできた。

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